普天間飛行場返還合意から30年、移設容認の決断に揺れる元市長の思い
日米両政府が沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場返還に合意してから、2026年4月12日でちょうど30年を迎える。しかし、名護市辺野古への移設を進める国と反対する県との対立は続き、移設工事も難航しているため、返還は未だ実現していない。この間、県内移設を受け入れた当時の関係者たちは、市街地の中心に飛行場が存在し続ける現状に、やりきれない思いを募らせている。
「アイエナー!」返還合意の夜から30年
1996年4月12日の夜、宜野湾市内の居酒屋でラジオを通じて返還合意の一報を知った比嘉盛光さん(87歳)は、「アイエナー!(まさか!)本当に普天間が戻ってくるぞ!」と叫んだ。当時、基地問題を所管する市企画部長だった比嘉さんは、店内の客らと乾杯や万歳を繰り返し、喜びに沸いた。
戦後、故郷の宜野湾市に戻り市職員となった比嘉さんは、米軍関係の事件や事故にも携わる中で、基地返還を「市民の悲願」と強く思うようになっていた。そのため、返還合意の夜は昨日のことのように鮮明に記憶しているという。
県内移設容認の決断と「裏切り者」のレッテル
比嘉さんは翌1997年の市長選に出馬し、初当選を果たした。選挙では「県内移設反対、無条件返還」を掲げていた。しかし、1999年12月、当時の稲嶺恵一知事が名護市の岸本建男市長に移設受け入れを要請。岸本市長が容認を表明し、辺野古への移設方針が閣議決定された。
「危険な普天間の返還を優先し、苦しみながら決断したのだと思う」と比嘉さんは述べる。県内移設を容認したことで、「裏切り者」と呼ばれることもあったが、市街地の真ん中に飛行場が存在し続ける状況を変えるためには、やむを得ない選択だったと振り返る。
返還後の展望と沖縄経済界の動き
一方で、沖縄の経済界や基地を抱える自治体は、返還後を見据えて動き始めている。普天間飛行場の跡地を活用したプロジェクトに向け、具体的な計画が進められつつある。これには、商業施設や住宅地の整備、観光資源としての活用などが含まれており、地域経済の活性化が期待されている。
しかし、返還が実現しない限り、これらの計画は絵に描いた餅に終わってしまう。比嘉さんは「あと何年たてば返還されるのか。県内移設容認を決断しても、30年間変わらなかった」とつぶやき、早期の解決を願っている。
沖縄の未来と基地問題の行方
普天間飛行場返還問題は、単なる基地移設にとどまらず、沖縄の安全保障、経済、そして住民の生活に深く関わる課題である。30年という歳月が経過した今も、国と県の対立は続き、解決の糸口は見えていない。
比嘉さんのような当時の関係者の苦悩は、沖縄が抱える複雑な問題を象徴している。返還合意から30年を機に、改めてこの問題の重要性と緊急性が問われている。



