DJ OSSHYの原点:新宿ディスコで衝撃、恩師の導きで見習いからレギュラーDJへ
DJ OSSHYの原点:新宿ディスコで衝撃、見習いからレギュラーへ (15.04.2026)

ディスコ音楽との衝撃的な出会い

1981年、当時高校生だった筆者は、新宿のディスコ「PUKA PUKA」で初めてディスコを体験しました。母校の立教高校には、大学生の遊びを模倣する風潮があり、多くの生徒が先取りした楽しみを求めていました。新宿の「B&B」や「GBラビッツ」にも足を運びましたが、周囲の仲間の多くは女性との出会いを主な目的としていました。

しかし、筆者はそれとは一線を画していました。途切れることなく流れるカッコいい音楽に、心を深く奪われたのです。そして、その場で初めてDJブースの存在を知ります。2台のターンテーブルとミキサーを巧みに操り、フロア全体の空気を支配するDJの姿に、全身を打ち抜かれるような衝撃を受けました。

「DJになりたい!」という決意

その瞬間、「DJになりたい!」という強い思いが沸き起こりました。自宅から渋谷の「ラ・スカーラ」に入り浸るようになり、DJブースに張り付いてはレコードのレーベルを必死にメモする日々が始まります。翌日にはレコード店へ直行し、曲名が分からないため店員に鼻歌で伝え、勘で購入しては失敗を繰り返していました。

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ある日、常連として通い詰めていた筆者に、一人のDJが声をかけてくれました。「毎日来てるけど、DJに興味あるのか?」「隣の『キャンディ・キャンディ』で見習い募集してるぞ」―。声をかけてくれたのは、後に恩人となる故・モンチ田中さんでした。この出会いが、筆者のDJ人生を決定づける転機となります。

厳しい見習い時代の試練

面接を経て、高校生ながら見習いとしての道がスタートしました。しかし、その内容は想像以上に厳しいものでした。清掃、照明の調整、先輩DJの選曲ノート管理などの雑務が中心で、機材には一切触れることが許されません。大半の見習いが3カ月で辞めていくような過酷な修行の日々でした。

半年後、ようやく開店直後の1時間を任される機会を得ますが、失敗の連続でした。「才能がない」と罵声を浴びることもありました。それでも、剣道で鍛えた忍耐力を武器に食らいつき、努力を続けました。そして1年後、ついに3人目のDJ「マッチ」として、レギュラーメンバーに加わることになったのです。

この経験は、単なる職業選択を超えた、情熱と忍耐が実を結ぶ物語として、現在のDJ OSSHYの基盤を築きました。新宿のディスコシーンで芽生えた衝撃が、恩師の導きと自身の努力によって、確かなキャリアへと成長していったのでした。

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