東京・春・音楽祭でシェーンベルクの「グレの歌」が圧巻の演奏を披露
東京・春・音楽祭の舞台で、シェーンベルクの壮大な音楽叙事詩「グレの歌」が上演された。指揮者マレク・ヤノフスキの魔法のような手腕により、過剰とされる要素が見事に豊穣な音楽体験へと昇華する瞬間が訪れた。
冒頭のざらついた音がもたらした意外性とその後の展開
演奏が始まると、ざらついた音が不意に放たれ、聴衆はわずかに狼狽した。通常、「前奏曲」は物語へと誘う柔らかな扉であるはずだが、厳しく引き締まったバランスで知られるヤノフスキの素っ気ない運びは、当初、訝しい思いを抱かせた。しかし、この疑問はほどなくして静かに覆されることとなる。
「グレの歌」は、シェーンベルクが1913年に発表した作品で、独唱、合唱に加えて150人規模の管弦楽が2時間以上にわたって陶酔的なサウンドを奏で続ける。若さに任せてすべてを放り込んだメガロマニアックなドラマとも評されるが、ヤノフスキはこの過剰さを巧みにコントロールした。
抑制と爆発の絶妙なバランスが生む情感
前半部では、王(デイヴィッド・バット・フィリップ)と乙女(カミラ・ニールンド)の禁断の恋愛が綴られ、砂糖漬け的な表現が延々と連なる。ヤノフスキは、乙女の感情が頂点に達する「若々しい花嫁が」という語に至って、ようやく甘味をぴたりと飽和させた。冒頭から1時間にわたる抑制があるからこそ、後に管弦楽のみで示される乙女の死も、刺すような切なさを帯びるのである。
過剰を豊穣へと反転させるこのマジックは、よりオペラ的な第2部以降に至ると、すべての要素がヤノフスキ的な時間の上でたゆたい、明滅し始める。コントラファゴットをはじめとする低音ががっちり基盤をつくるNHK交響楽団の厚い響き、そして独唱と合唱(東京オペラシンガーズ)の充実が、舞台中央に立つ87歳の指揮者をやさしく包み込む様子には、思わず胸が熱くなった。
語り手の効果と全体を通した新たな出会い
大詰めで唐突に姿を現す「語り手」も、アドリアン・エレートの巧みな発話により、物語にメタレベルで注釈を加える効果を発揮した。これにより、聴衆は作品全体を通して、あらためて「グレの歌」に出会ったような気持ちにさせられたのである。
この演奏会は3月25日、上野・東京文化会館大ホールで行われ、音楽評論家の沼野雄司氏もその感動を記している。東京・春・音楽祭は、クラシック音楽の深みを伝える貴重な機会として、今後も注目を集め続けるだろう。



