トーキョーいまここ 台東区 Gururi Pickup 20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家が人々や風景を描きつつ込めた深い思い 「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」
アンドリュー・ワイエスは20世紀アメリカで広く活躍し、現在もなお国民的な人気をもつ画家です。本展は、日本におけるワイエス没後初の回顧展。モチーフの中の“境界”をキーワードに、写実的な描写の奥にひそむ作者の思いに迫る展示構成が実に刺激的です。
モダニズム絵画全盛期のアメリカで貫いた写実絵画
アンドリュー・ワイエスの絵を、印刷物などであれ、目にしたことのある人は多いでしょう。人物は髪の毛やシワの1本1本までていねいに描かれ、植物や調度の描写もまたきわめてリアルです。
あの時代になぜなのだろう、とも思うかもしれません。彼が活動した第二次世界大戦中から戦後、アメリカでは抽象表現がもてはやされ、ネオ・ダダ、ポップアートなども広まりました。その中でワイエスは、ある意味古くさいともいえるような写実表現を貫きました。描いたのも、生まれ育ったペンシルバニア州チャッズ・フォードと、夏を過ごす別荘のあるメイン州ポート・クライド周辺での、身近な人々や風景ばかりです。
では当時のワイエスは時代の潮流に乗り遅れた不遇な画家だったのでしょうか? いや、実際は正反対です。若い頃からその表現力と技術は高く評価され、受賞も数知れません。つまり、アカデミックな美術界においても、前衛的なモダニズム表現を好まない一般の鑑賞者たちからも、ワイエスの作品はおおいに注目されました。それは没後の今も変わりません。
そして今回の回顧展で知るのは、写実的な表現の裏側に秘められたワイエス自身の心のありようです。何を、どう見て、いかに画角に切り取り、どのように描くのか。そこには、十分に名の知られた画家としての慣れや“求められる作品”を描こうとするような濁りはまるで見えません。描かれた人物や風景はどれも独特の静けさをたたえ、その表現の底には常に、画家個人の哀しみのようなものが込められているのだとわかります。
幼少期から才能を開花させてくれた父の事故死
展示は5つの章で構成されています。けれど時系列ではありません。それぞれにテーマを持って、年代を横断していくかたちです。
Ⅰ章は「ワイエスという画家」。ワイエスは1917年7月にチャッズ・フォードの家で生まれました。父は著名な挿絵画家ニューウェル・コンヴァース・ワイエス。裕福な家庭で、3人の姉、1人の兄と同様に幼少期から父に絵を学びました。小学校は2週間で退学し、その後は家庭教師に学んだといいます。15歳頃から近所のカール・カーナー、アンナ・カーナー夫妻を描くようになり、夫妻はその後43年間もモデルになりました。展覧会出品をスタートしたのもこの頃です。21歳の時にはニューヨークで初個展をし、3日目で完売しました。アメリカ水彩画協会に最年少で会員になった1940年、生涯にわたって彼のマネジメントをして支える妻ベッツィと結婚しました。
順風満帆ともいえる日々。しかし1945年、彼にとって非常に大きな存在であった父と、3歳の甥が乗った車が列車に衝突し、2人とも亡くなってしまいます。その6年後には彼自身も気管支拡張症により片肺の半分を切除する大手術を受けました。2つの出来事はワイエスに、生のはかなさへの思いを深く植え付けました。それが、その後の数々の作品において、目に見えるかたちは取らずとも通奏低音のように響き続けることになります。
展示されるのは、若い日の作や父の死の同時期に描かれた自画像、そして義兄から学んだテンペラ技法の作品など、画業の大きな流れを観る内容です。15歳頃から繊細に描き込まれていた草や樹木などは、歳を重ねるにつれて一層精緻さを増していきます。また、あえて粗く色を乗せた部分ときめ細かに描き込まれた部分とのバランスもワイエスらしさです。
Ⅱ章の「光と影」では、画面上のくっきりとした光と、暗い部分との関係に注目します。かつてのアカデミックな絵画では、光はスポットライトのようになにか注目すべき部分を強調するものでした。けれどもワイエスはあくまでも現実の陽光を描きます。その上で、光と影の関係に、またその境界に意味を持たせています。たとえば外の明るさと室内の暗さの境界であるドア。画面の奥で日差しを受けて光るバケツ。たなびく洗濯物の白さ。人のいない風景画であっても、その光と影の中で生活する人たちの気配と、生きることへの根本的な慈しみや哀しみのようなものが伝わってきます。
クリスティーナをモデルとする約30年の日々
Ⅲ章「ニューイングランドの家――オルソン」は、ワイエス作品のアイコンともいえるクリスティーナ・オルソンとその弟アルヴァロ、そして彼らが暮らし、ワイエス自身もアトリエとしたオルソン・ハウスをテーマとします。
結婚前年の1939年、夏を過ごす別荘の近くで17歳のベッツィと初めて出会ったワイエスは近所を案内してもらい、ベッツィの親しい友人であるクリスティーナを紹介されます。クリスティーナは当時46歳。シャルコー・マリー・トゥース病の進行で脚が動かせず、這ったりものにつかまって移動するしかありませんでした。車椅子すら拒絶し、すべて自力でやり抜こうとする誇り高さや思慮深さに強い感銘を受けたワイエスは、姉弟との交流を深め、オルソン家の2階をスタジオとして借りて、2人が亡くなるまでの約30年間に渡って彼らや建物の風景を描きました。クリスティーナを描いた作は200点以上に上るそうです。
展覧会ポスターにも使われている《クリスティーナ・オルソン》は、クリスティーナの肖像画としてとても著名な作品です。裏口の踏み段に腰掛けたクリスティーナが外を眺めています。室内は暗いが、日差しが彼女を包みます。外から吹き寄せる風が髪をなびかせます。19世紀初頭に建てられたオルソン・ハウスは3階建ての母屋と平屋の台所兼作業場が連なる造りで、姉弟は1階部分だけで生活していました。階段の上り降りはクリスティーナには出来なかったからです。踏み段に座る彼女は、陽光の中に歩み出すことも出来ません。運命を受け入れ佇む姿は、ある種の聖性すら帯びているように思えます。
アルヴァロを表現した作も多数あります。“表現”としたのは、肖像としてはっきり描かれたものは少ないからです。控えめで、絵のモデルになるのも好まない人物だったらしい。漁師だったが、姉の病気が進行すると牛を飼い、敷地でブルーベリー栽培をしながら支えました。展示作品では、戸口の外に座るシルエットのほかは、牛のいる納屋、ブルーベリーを計量するカップなどを通してアルヴァロの存在の重要さが暗示されます。
締め切った3階の屋根裏部屋にある日上がったワイエスは窓を開けました。海からの風がすり切れたレースカーテンを翻らせました。部屋が再び呼吸をするのを感じたのでしょうか。あるいは滅びの予感か。その瞬間を切り取ったのが5点の《海からの風(習作)》です。幾度も重ねた推敲の跡には、この家への強い愛を感じざるを得ません。
アルヴァロは1967年12月、その後を追うようにクリスティーナも1968年1月に世を去ります。《オルソン家の終焉》は、住む人のなくなった家を描いたものです。かつてクリスティーナが煮炊きをする煙が出た煙突があり、アルヴァロが漁をした入り江が見えます。画面には小さく、ツバメの姿も描かれます。オルソン・ハウスは1995年にアメリカの文化財史跡に登録され、現在は一般公開もされています。ワイエスが描き続けなければ、おそらくは朽ち果てるのみだったでしょう。
多様な技法を駆使し、別れた人々を“悼む”
観ていると水墨画に近い技法が多いことにも驚かされます。ワイエスは日本や中国の水墨画は詳しくは知らなかったようです。けれども、細密な描き方の一方で、薄く溶いた絵の具をたっぷり含ませた筆でさらりとにじませていたりもします。幼少期から水彩に親しむ中、自由な表現としてそこに至ったのでしょうか。ワイエス自身は、水彩画はその瞬間に感じたことを素早く描けるのが長所だと語っています。
もちろん技法はそれだけではありません。水分を極限まで絞った、乾いた筆で描くドライブラッシュと呼ばれる技法では、くっきりとした強い描写になります。またテンペラ技法も使い続けました。卵の黄身に顔料を混ぜて描く古典技法で、やり直しが出来ない上、乾くのも速いが緻密な表現ができます。
Ⅳ章「まなざしのひろがり」では、オルソン姉弟が亡くなった後の作品群です。手慣れた技法を駆使し、近隣の身近な風景を描き続けます。特定の人物を何作も描くことは減っていましたが、注目すべき例外作もあります。ヘルガ・テストーフを描いたデッサン《隠れ場(習作)》です。
ヘルガは、ワイエスが10代から描いていたカール・カーナーが老いてから介護に通っていた農婦でした。ワイエスは1971年から、当時38歳の彼女をモデルとしました。ヌードも多かった。その作は240点にも及ぶそうです。ところがワイエスはそれらの作品を妻のベッツィやヘルガの夫、世間にも秘して隠しました。ベッツィに告白したのは68歳の時です(ヘルガは53歳)。アメリカでは、著名画家のスキャンダルとしてけっこう派手に報道されたらしい。しかし単なるモデルだとベッツィも納得し、ヘルガはそれ以降、ワイエスが亡くなるまで助手として制作を支えました。展示されているデッサンは、告白の年のものです。2人にはどんな思いがあったのでしょう……。
Ⅴ章「境界あるいは窓」は、展示作品数は少ないながら、ここまで観てきたワイエスの心のありようにより深く入っていきます。
父親の事故死から始まり、多くの大切な人々が亡くなっていきました。身近なものだけを描き、海外に行ったのは1977年にフランス学士院美術アカデミー準会員になった際にパリに向かっただけというワイエスです。自身が生きる狭い世界を大切にした彼は、作品を通して、愛する人々の死を悼みます。
1960年に描かれた《ゼラニウム》はクリスティーナ存命中の作ですが、建物の窓を通して人影が見え、その向こうにも海を望む窓があります。室内の赤いゼラニウム一輪だけが、クリスティーナの残り少ない“生”の息吹を伝えます。また《薄氷》の奥深さもぜひとも感じ取りたいところです。凍った水路の下に枯れ葉が積もっています。けれども1枚、氷の上にも落ちています。本物が貼り付けられているかと思うほどのリアルさ。氷の下は死の世界であるようでいて、水の流れを表わす気泡も見えます。死は次の生につながっています。
彼はたぶん、日本の宗教思想も知らなかったでしょう。しかしその作品には、鴨長明『方丈記』の「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず……」にも通じる無常観があります。あらがえない運命の中で、やがては消えゆくであろうもの、二度とは会えない人々……。だから、その哀切がにじむ絵に私たちは惹かれるのだと、改めて思います。
特設ショップでは、スヌーピーとのコラボグッズも多数あります。漫画『ピーナッツ』の作者シュルツはワイエスの大ファンだったそうです。屋根の上で「僕のアンドリュー・ワイエスは最高だよ!」と英文で語るスヌーピーの姿は、この展覧会の締めくくりにきっとふさわしい。
展覧会概要
東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展
会期: 4月28日(火)~7月5日(日)
会場:東京都美術館 東京・上野公園 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
開室時間:9:30~17:30※金曜は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日 ※6月29日(月)は開室
観覧料(税込):一般2,300円、大学・専門学校生1,300円、65歳以上1,600円※高校生及び18歳以下は無料
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:https://wyeth2026.jp/



