東日本大震災15年、指揮官の後悔「撤収命令出せず」 命を守る人を守る現場の葛藤
震災15年、指揮官の後悔「撤収命令出せず」現場の葛藤 (09.03.2026)

「死なずにすんだかもしれない」指揮官の後悔 東日本大震災から15年、出せなかった撤収命令

2011年3月11日午後2時46分、宮城県仙台市中心部の官庁街に立つ7階建ての宮城県警察本部を、震度6弱の激しい揺れが襲った。当時の県警本部長は、警察庁キャリアとして2009年に着任した竹内直人氏(現在68歳)だった。あの日から15年、竹内氏は今も「あの時、撤収命令を出せなかった」という後悔を胸に抱き続けている。

大津波警報と次々と届く被害報告

地震発生後、竹内部長は4階の執務室でテレビが繰り返し告げる大津波警報を目の当たりにした。午後3時14分には気象庁が津波の予想高さを「6メートル」から「10メートル以上」に引き上げ、岩手県に到達した津波の映像が放映され始めた。最も岩手に近い気仙沼署の状況を憂慮した竹内氏は、直ちに署長の佐藤宏樹氏(現在64歳)に電話をかけた。「本当に津波が来る。くれぐれも気をつけて」と伝えるのが精一杯だった。

その後、竹内氏は3階に設置された災害警備本部に急行した。鳴りやまない電話、動き続けるコピー機、次々と回されてくる情報メモがホワイトボードに書き込まれていく。被災状況の概要を把握すると、隣接する県災害対策本部会議に出席するため移動した。

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気仙沼署水没の報告と頭をよぎった不安

会議からの帰還は午後3時44分。その直後、「気仙沼署1階まで水没」という信じがたい報告が入った。「署員は大丈夫だろうか」という不安が頭をよぎった。しかし、他の所轄署からも次々と被害報告が届き、対応に追われるうちに、その不安は頭の片隅に追いやられていった。

「女川壊滅的」
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信じがたい情報の数々を必死にのみ込み、指示を出し続ける日々が続いた。周囲が暗くなり始めた頃、気仙沼市の港町が炎に包まれているという新たな情報が入った。午後7時半、竹内氏はこの日3回目の災害対策本部会議に出席し、その情報を共有した。

佐藤署長からの電話と深まる後悔

県警に戻った直後、気仙沼署の佐藤署長から電話がかかってきた。「本部長、申し訳ありません…」という声に、竹内氏は言葉を失った。現場の警察官や消防団員が自らの危険を顧みず救助活動に当たる中、指揮官として「撤収しろ」という命令を出すことができなかった。その判断が、結果的に命を落とす人を出してしまったのではないかという後悔が、今でも胸を締め付ける。

東日本大震災では、人を助けようとして自らの命を落とした消防団員、警察官、消防職員が大勢いた。災害時、「命を守る人をどう守るか」という課題は、3.11から15年経った今でも重い教訓として現場にのしかかっている。竹内氏の経験は、災害対応における指揮官の葛藤と責任の重さを浮き彫りにしている。

2025年10月には、竹内氏を含む当時の幹部有志らが経験をまとめた「あの日あの時あの思い~東日本大震災あれから10年~」を刊行。震災の記憶と教訓を後世に伝える取り組みが続けられている。

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