全国屈指の多国籍団地「保見団地」の歴史と変遷
全国屈指の多国籍団地「保見団地」の歴史と変遷

全国屈指の多国籍団地として知られる愛知県豊田市の保見団地。その歴史は高度経済成長期にさかのぼる。トヨタ自動車と関連産業の成長に伴い人口が増加し、労働者とその家族を受け入れるために大規模な団地開発が行われた。現在は総面積66万平方メートル超、約4千戸が立ち、住民の約58%を外国人が占める。最も多いのはブラジル人だ。

開発の背景

1970年代、日本住宅公団(現UR)、愛知県、名古屋鉄道が丘陵地で開発に着手。72年から造成、74年に住宅建設、75年から入居募集が始まった。当初は日本人のみが住んでいたが、80年代末のバブル景気で人手不足が深刻化すると、日系ブラジル人が流入。90年の入管難民法改正で定住資格が認められ、さらに集住が進んだ。

住民の証言

83年から県営住宅に住む宮川キヌヨさん(78)は「以前は外国人は一人もいなかった。最初は3人の日系ブラジル人が入居して、嫌な雰囲気があった」と振り返る。今では外国人の方が好きだと語るが、当初は戸惑いもあったという。

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保見団地は今や多文化共生のモデルとして注目されるが、その道のりは決して平坦ではなかった。連載「ホーミー」では、課題に直面しながらも解決へ奔走する住民の日常を描く。第2部では「日本人第一」の空気と苦悩する人々を取り上げる。

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