金地に深緑のツタの葉と和歌の三十一文字が映える「蔦の細道図屏風」。手がけた絵師・俵屋宗達は琳派の祖として知られ、公家の烏丸光広は歌人、能書家として名高い。彼らは江戸初期、寛永の世に京で花開いた文化の一端を担った。
後水尾天皇が育んだ文化サロン
その文化を育んだ核にいたのが、寛永行幸で徳川将軍家から二条城に招かれた後水尾天皇だ。和歌や茶華道に通じた天皇を中心に、いくつもの文化サロンが形成され、宗達ら当代随一の文化人が集った。「蔦の細道図屏風 俵屋宗達筆 烏丸光広賛」をはじめ、相国寺には「後水尾天皇像 幸仁親王筆」「観音図 狩野探幽筆」などが伝わる。
仏門へ入り、寺に残るゆかりの品々
後水尾天皇はやがて、相国寺(京都市上京区)の僧を師として仏門へ入る。同じ宗派の寺には、自ら詠んだ和歌の墨書や、寄進した狩野派絵師の作品が残る。相国寺承天閣美術館では現在、これらゆかりの品々を「後水尾院の京」と題して集め、並べている。
現代に息づく後水尾天皇の遺産
花園大専任講師の本多潤子さん(禅文化・寺院史)は「400年を経て今ある京都の文化や精神は、後水尾天皇の存在なくして語れない」と評する。京都を京都たらしめる雅。その礎を間近に感じつつ、館内を後にした。



