明治の外交官・林董、日英同盟推進の功績 弱肉強食の時代に国益を探る
林董の外交手腕、日英同盟推進で国益を守る

弱肉強食の帝国主義時代、外交の最前線に立った男

弱肉強食の帝国主義時代、外交の最前線に立った男がいた。外務次官や駐露、駐英公使を務め、日英同盟を推し進めた外交官の林董(ただす)(1850~1913年)である。司馬遼太郎は小説『坂の上の雲』で、「日清、日露というそれぞれの戦争がはじまる前、外交段階における最大の働き手のひとりだった」と記している。

三国干渉の報告書から読み取れる国力の弱さ

坂の上の雲ミュージアム(松山市)で開催中の企画展「『坂の上の雲』にみる明治のインテリジェンス」では、林が外務大臣陸奥宗光にあてた「三国干渉」の報告書を展示している。これは日清戦争後、ロシア、ドイツ、フランスが日本に、割譲が決まった遼東半島(現中国東北部)の放棄を求めた史料だ。

報告書には「朝鮮国ノ独立ヲ有名無実ニ帰セシメ且ツ永ク極東ノ平和ニ対シ障害ヲ与フルモノナリトス」と記されており、その書きぶりからは、列強の要求を受け入れざるをえない日本の国力の弱さが鮮明に読み取れる。

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日英同盟締結への冷徹な戦略

当時から、林は日英同盟締結の必要性を強く主張していた。英国は「光栄ある孤立」を貫く一等国であり、日本は極東の弱小国で、中小企業が大企業との業務提携を目指すような状況に等しかった。

日本は、関係が悪化するロシアとの軍事力の差を考慮すれば独力で戦争ができず、抑止力として英国の後ろ盾を切望していた。林は、アジアの利権を守りたい英国と日本の利害が一致すると見抜き、英外相に積極的に接触を図った。

一方で、ロシアとの対立を避けようとする元老の伊藤博文らは日露協商を模索していた。ひとつ間違えば日英同盟が「破談」になる危機もあったが、伊藤の訪露が逆に英国の対応を急がせる結果となった。交渉打診から同盟成立まで約9か月、公式交渉に限れば4か月程度という迅速な進展だった。

優れた語学力と外交感覚

関西外国語大学の片山慶隆教授(日本近現代史)は、林について次のように評価する。「状況に応じて同盟や協約を選択し直していく時代において、林はどうしたら日本の国益となるかを冷徹にバランスを探り、帝国主義時代にふさわしい外交感覚を持っていた。各国を見聞し、優れた語学力と深い教養を備え、座談の名手といわれ、よくしゃべり、信頼関係を築くのがうまかったようだ」。

日英同盟の具体的な効果

日英同盟の効果は非常に大きかった。日露戦争の開戦直前、英国はイタリアで建造中の軍艦2隻の購入を仲介し、英軍艦が護衛して地中海からスエズ運河を経て日本に到着させた。

同ミュージアムの西松陽介学芸員は「林がロンドンで交渉し、契約した。この軍艦はその後の日本海海戦で貴重な戦力となっており、こうした功績はもっと広く知られるべきだ」と語る。

外交と戦争の両面性

外交と戦争はコインの両面と表現されることもある。「平和時における戦争が外交で、その外交が失敗すれば戦争へとエスカレートする危険が大」という指摘(前坂俊之著『明治三十七年のインテリジェンス外交』)は、現代の厳しい国際情勢、例えばイラン情勢を考えると、改めて外交インテリジェンスの重要性を教えてくれる。

司馬遼太郎も『坂の上の雲』で、「世界の外交界というものを相手に、舞台上であれ舞台裏であれ、懸命な活動をした最初のことであり、しかもその後これだけの努力を払った例は日本の外交史に出現していない」と論じている。林董の外交手腕は、弱肉強食の時代において、日本の国益を守るための重要な礎となったのである。

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