フォトジャーナリスト豊田直巳の東京物語 東村山市が第二の故郷に
静岡県の中山間地、旧徳山村(現在の川根本町南部)で生まれ育ったフォトジャーナリストの豊田直巳氏。森林と大井川の間に集落が点在するこの地域にはかつて約4千人が暮らしていたが、過疎化の波が押し寄せ、現在では川根本町全体でも人口が6千人を下回る状況となっている。
豊田氏自身もその過疎化を進行させた一人であることを率直に認める。高校卒業後に東京へ移り住んでからすでに半世紀が経過。故郷に残った友人たちに対して後ろめたさを感じつつも、東京北西部の東村山市で生活を続けている。
コロナ禍で有名になった東村山市
東村山市は、コロナ禍で亡くなったコメディアンの志村けん氏によってその名が全国に広く知られることとなった街である。豊田氏にとって、この街は今やかけがえのない「第二のふるさと」となっている。
フォトジャーナリストとしてのキャリアの中で、豊田氏はパレスチナやイラク、内戦中の旧ユーゴスラビア、インドネシアのアチェなど、世界の紛争地を数多く取材してきた。危険と隣り合わせの現場で撮影を続ける日々から解放され、東村山に帰宅する瞬間には、いつもほっとする安堵感が訪れるという。
武蔵野の面影が残る街並み
多摩湖や八国山、玉川上水から分岐する野火止用水など、自然豊かな風景が広がる東村山市内を散策することも豊田氏の楽しみの一つだ。特に、市が「人権の森」と呼ぶハンセン病元患者の国立療養所・多磨全生園周辺には、武蔵野の面影が色濃く残されているという。
「この辺りを歩いていると、なぜか懐かしい気持ちになるんです。紛争地の緊張から解放されるだけでなく、どこか故郷に似た雰囲気を感じるからかもしれません」と豊田氏は語る。
福島原発事故被災地への思い
15年前に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故以降、豊田氏は福島県への取材を精力的に続けてきた。ふるさとを奪われた人々の声に耳を傾け、その苦悩と希望を記録し続けている。
解体が進み大半の家屋が消えた富岡町夜の森地区に立つ豊田氏の姿は、被災地への深い思いを物語っている。田舎から東京に出てきた者としての視点から、原発事故によって故郷を失った人々の心情に寄り添いながら、写真を通じてその現実を伝え続けている。
豊田直巳氏は1956年静岡県生まれ。中央大学卒業後、フォトジャーナリストとして中東やアジア各地の戦争・紛争地を取材。劣化ウラン弾問題などにも取り組み、原発事故後は福島への取材活動に力を注いでいる。半世紀にわたる東京生活の中で、東村山市は紛争地取材から戻るたびに安らぎを与えてくれる「第二の故郷」として、特別な場所となっている。



