文化財には、多かれ少なかれ物語が宿るものだ。「よく『切断』といわれるのですが、絵巻の継ぎ目をはずしたというのが正解で…」。京都・泉屋博古館の学芸部長、実方葉子さんの言葉に、思わず苦笑してしまった。鎌倉時代の名品「佐竹本三十六歌仙絵巻」は、大正時代に売りに出されたものの、市場評価があまりに高く、37枚(36人と住吉大明神)に分割・譲渡された話はよく知られている。「切った」といわれがちだが、漉いて作る和紙のサイズは限られる。長い絵巻は複数の紙を継いで制作されたものであり、つまり「はずしただけ」というわけだ。
「佐竹本」修復を経て
その1枚で、同館所蔵の「佐竹本三十六歌仙絵切『源信明』」(重要文化財)が約100年ぶりの修復を終え、公開された。東山連峰を望み、平家物語ゆかりの鹿ケ谷(京都市左京区)にたたずむ同館は、住友家のコレクションを保存・研究・公開する美術館である。開催中の特別展「文化財よ、永遠に 2026~次代につなぐ技とひと」では、住友財団の助成で修復された文化財を紹介している。
「源信明」は分割後、住友家15代当主・住友春翠(友純)が入手したもので、先月下旬には「修理の現場から」と題した講演会が行われた。「これは…」と少なからず衝撃を受けたのが、修復前の画像である。紙は横方向に激しく折れて波打つようになっていた。鎌倉初期の制作というから約800年、掛け軸として約100年。傷むのも当然だが、今回のように絵巻物から掛け軸に仕立て替えた場合の弊害が明らかになった。
絵巻と掛け軸の違い
そもそも絵巻は、横に開いて眺め、また巻いて収納する。ところが掛け軸は縦に巻く。つまり、それぞれ曲げられる方向がタテとヨコで異なり、紙にとっては大きな負担となる。しかも…。絵巻物を掛け軸に仕立て替える際には、さらに別の問題がある。「和紙には一定の繊維方向があります」と、修復を担当した岡墨光堂の主任技師、梶谷誠さんは教えてくれた。手漉き和紙の特性として、「左右に巻く絵巻物と上下に巻く掛け軸では、本来用いる紙の向きが異なる」のだという。
それでも、長い歴史の中で絵巻を掛け軸に仕立て直すことがしばしば行われてきたのには理由がある。「絵巻は日本の伝統的な鑑賞スタイルですが、傷んだものを次に生かす方法として、部分的に掛け軸にして楽しむ新しいスタイルが生まれました」と実方さんは語る。折しも江戸時代以降、茶の湯が盛んになる時代背景もあった。「絵巻は数人でしか見られませんが、掛け軸なら茶席などで大勢で共有できる。文化財救済の一つの手立てでもありましたが、何より皆で見る楽しさがあった。新しい鑑賞スタイルであり、そこに新たな美を見いだしたのです」
人材や素材の確保
興味深い発見もあった。貴重な掛け軸の表装を担った職人の名が、今回の調査で初めて判明したのである。大阪・船場で活躍した表具師、井口邨僊(そんせん)である。掛け軸の名称などを箱に記すための下書きが井口家に残っており、それが明らかになったそうだ。「修理をしていると、この作品が非常に大切に扱われてきたこと、熟練の職人さんが手掛けたことも感じます」と梶谷さん。「いろいろな経験をされた方でないと、ここまで考えてできないでしょう。勉強になった作品でした」と感心しきりである。職人とは、時空を超えて先達と会話をするらしい。
実感したのは、使われている多様な和紙の力だった。例えば、絵の裏に貼る1枚目はしなやかで強度のある「美濃紙」(岐阜県)。2枚目は胡粉(ごふん)(貝殻の粉末)が漉きこまれ、柔らかで巻き解きに向く「美栖紙」(奈良県)。最後に白土を含んだ美しい「宇陀紙」(同)で仕上げるといった具合である。いずれも希少で生産者は少ない。和紙に限らず、漆や膠(にかわ)、木材など良質な素材の今後の確保は喫緊の課題だ。
展覧会の見どころ
さて、展覧会である。「源信明」は展示替えで終了したが、和紙で作る建築模型さながらの「起こし絵図」など「大工頭中井家関係資料」(重文)もお勧めだ。圧巻の迫力が見どころの妙心寺(右京区)塔頭・麟祥院の本堂障壁画「雲龍図」(海北友雪筆)には、徳川家と春日局にまつわる人情物語も伝わる。物語に耳を傾け、修復の跡をたどると、文化財の違った魅力が見えてきた。



