関西地方のニュースとして、堺市で見つかった貴重な文化財が修復を経て公開されることになりました。各地の祭りで見られる鉾(ほこ)は、堺市でもかつて曳行(えいこう)されていました。その鉾を飾っていた「青龍鉾人形」が、長年の傷みから修復され、鮮やかな姿に生まれ変わりました。この人形は10日から、堺区にある鉄炮(てっぽう)鍛冶屋敷で展示されます。
青龍鉾人形の修復と公開
青龍鉾人形は2018年、江戸時代の鉄砲鍛冶の作業場兼住居として国内で唯一残る「井上関右衛門家住宅」で発見されました。この人形は、明治時代頃まで堺市内の祭礼で使われた鉾に載せられていたと考えられます。人形を納めた箱の蓋裏には、1824年に作られたことや、関右衛門ら世話人の氏名が墨書されていました。
傷みが激しかったため、クラウドファンディングで資金を集め、2024年12月に修復が始まりました。修復では、顔のひび割れや手の欠損部分が補われ、特に傷んでいた衣装は布の染め方や縫製を細かく調べて復元されました。
人形の特徴と歴史的意義
修復の過程で、人形の頭部が前方に突き出る特徴があることも判明しました。これは、人形が鉾の高い位置に置かれることを前提とした作りで、堺市文化財課の学芸員堀川亜由美さん(47)は「下から見上げたときに顔がわかりやすいような作りだ」と説明します。
井上家に伝わる資料によると、堺市の旧市街地「環濠(かんごう)エリア」では、遅くとも1817年頃には祭礼で鉾が曳行されており、明治時代まで続いていたとされます。しかし、空襲で当時の文書がほとんど残っておらず、祭礼の詳しい内容は不明です。その後、だんじりの衝突事故が起きてだんじりが禁止され、現在のふとん太鼓が主流となりました。
環濠エリアで鉾が曳行されていた資料としては絵馬や写真が残っていますが、鉾に載せた人形はこの一体だけです。堺北庄の氏神である菅原神社の祭礼にまつわる実物資料としても初めて確認され、堀川さんは「祭礼を町で守ってきたことがわかる貴重な資料」と意義を強調します。
青龍鉾人形は10日から7月20日まで、午前10時から午後5時まで鉄炮鍛冶屋敷で公開されます。堀川さんは「祭礼を行う町の人々が大切にしてきた人形が、令和につながれてきた歴史を感じてもらいたい」と話しています。



