93歳の文豪・五木寛之が語る分断時代の処方箋
93歳を迎えた作家の五木寛之氏は、今なお日本を代表する人気作家として活躍を続けている。複数の雑誌や新聞で連載を抱え、今年2月に刊行した『大河の一滴 最終章』(幻冬舎)はすでに16万部に達した。氏は「私を作った書物たち」という取材に対し、「私は目下、形成中なので……」と前置きしつつ、「私を作りつつある書物たち」として多田富雄著『免疫の意味論』(青土社)を挙げた。
新聞が育む思考の深み
五木氏の旺盛な執筆活動を支える要素の一つが、新聞への愛着である。毎日6紙に目を通し、ニュースだけでなくコラムを熟読することで自身の考えを深めている。氏は「もう少し生きて、この国と世界の成り行きを見たい」と語り、現状への関心の高さを示した。
戦争体験世代としての視点から、現代社会を鋭く分析する。「昔は鉄砲や機関銃、戦車などの兵器と、兵器ではないものが明確に区別されていた。しかし今では、子ども用のパソコンさえ戦争の道具になり得る。銃後と戦場の境界線が曖昧になり、新しい戦争の時代が始まったと感じます」と指摘する。
さらに、ドローンや無人戦車が行き交い、AIが操作する時代にあって、自身が原稿を手書きで執筆し続ける理由について「覚えるのが面倒な面もあるが、機械化の時代にあらがいたい気持ちがある」と語った。
「デラシネ」としての人生
1932年、教員の父親のもとに生まれた五木氏は、生後間もなく日本統治下の朝鮮半島に渡った。航空兵を志した少年時代は、平壌で迎えた中学1年の夏に一変する。ソ連軍の進駐と敗戦の混乱の中で母を失い、妹を背負い弟の手を引いて38度線を越えて帰国したという過酷な経験を持つ。
「内地の人間が食べられない状況なのに、引き揚げ者を受け入れられないと言った政治家がいる。怒り心頭に発しました」と当時の憤りを振り返る。父の出身地である福岡県に戻って新生活を始めても、故郷を失っただけでなく「自分の根の部分をむしり取られた気がした」という。
この感覚を、氏はフランス語で「デラシネ」(根なし草)と表現する。「長い間この言葉を使い続けてきたが、今こそデラシネの時代ではないでしょうか。中東をはじめ世界中の人々が、権力や政治の力によって生まれ育った土地から引き離される状況が広がっています」と現代社会の分断を憂える。
分断時代に薦める一冊
国内外の分断が進む現代において、五木氏が振り返りたい一冊として挙げたのが多田富雄著『免疫の意味論』である。世界的な免疫学者であり、能をたしなむ文化人でもあった著者は、脳梗塞を患い声を失い右半身不随となった後も執筆を続けた。
「免疫とは、体内に侵入する異物を拒絶して排除するシステムです。しかしそれだけでなく、共存するための寛容(トレランス)の働きも備えているという点に注目しています。これは現代の移民や外国人労働者問題にも通じる考え方だと感じます」と氏は説明する。
母親の体が、自らにとって半ば異物である胎児を排除しないという事実に、人間の体に潜む神秘を見いだす。そのような生命の不思議を思う時、世界の厳しい立場に置かれた人々へ自然と心が向かうという。
心境の変化と新刊の意義
悲しい死を遂げた母のことがよぎり、80歳を過ぎるまで病院に行けなかった五木氏。ある時「もういいのよ」という声が聞こえ、ようやく通院できるようになったという。92歳でがんを告知されたが、執筆を優先することを望み、2024年秋から放射線治療を受けて1年足らずで治癒した。
「生きんと欲しながら叶わずに死んだ人たちがいる。生き残った者には責任がある。書くことは仕事です。こちらは生かしてもらっているわけだから、何かの形で社会に報いたい気持ちがあります」と語る。
約30年前に刊行した『大河の一滴』では、人生を大河の流れにたとえ、流れに身を任せて生命の海に出ていくことを記した。しかし「最終章」と銘打つ今回の新刊では、心境の変化が刻まれている。
「ときには大河の流れに身をまかせるだけでなく、それに逆らって生きることもあっていいのではあるまいか」という一文がそれを象徴する。「最後は生命の海に行くわけだけど、ただ穏やかに死ぬだけではなくて、もっと紆余曲折があっていいんだろうと思うんです」と語る五木氏。
今日もペンを握り続ける93歳の作家。卒寿を超え、その生はいよいよ烈しさを増している。



