震災15年、気仙沼の画家が描く復興のむなしさと希望 (26.03.2026)
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の画家・小野寺牧夫さん(67)。15年前に取材した記者が久々に連絡を取ると、今も故郷で絵を描き続けているという。変わり果てた街並みと活気の戻らない現実に向き合い、キャンバスに込める思いとは。
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の画家・小野寺牧夫さん(67)。15年前に取材した記者が久々に連絡を取ると、今も故郷で絵を描き続けているという。変わり果てた街並みと活気の戻らない現実に向き合い、キャンバスに込める思いとは。
東日本大震災で津波の犠牲となった山根捺星ちゃん(当時6歳)の遺骨が海岸清掃で発見され、家族が引き渡し後初めて発見現場を訪れました。骨つぼを抱えた家族は砂浜を歩き、海への感謝を込めて鎮魂の祈りをささげました。
東日本大震災から15年を迎え、自民党の小野寺五典税調会長が当時の混乱や被災地支援、政治の役割を振り返り、生活者目線の対策の重要性を強調。原発事故を「現在進行形の危機」と指摘し、将来を見据えた防災・復興の課題を語る。
宮城県気仙沼市の三浦祝子さん(80)は、東日本大震災で夫を亡くして15年。結婚記念日だった3月11日が別れの日となった。慰霊祭で「じーちゃんへの思いは変わらないよ」と語り、孫の語り部活動に希望を見出す姿を伝える。
東日本大震災で行方不明となった山根捺星ちゃん(当時6歳)の家族が、遺骨が発見された宮城県の海岸を初めて訪れました。震災後、家族4人で過ごす初めての3月11日となり、骨つぼを抱えながら静かに手を合わせる姿が報じられています。
東日本大震災で行方不明だった山根捺星さん(当時6歳)の遺骨が、100キロ離れた海岸で発見され、14年ぶりに家族の元へ。両親と兄が小さな骨つぼを抱え、捺星さんが最後に見た海岸を歩く姿が報じられた。
宮城県気仙沼市で、東日本大震災の津波避難誘導中に殉職した警察官を弔うお地蔵さんが建立から15年。地域住民に愛され、子どもたちの登下校を見守り続け、復興の象徴として親しまれている。
東日本大震災から15年を迎えた11日、宮城県気仙沼市など被災地で行方不明者の捜索活動が行われた。市民団体や警察官らが「忘れない」との思いを胸に、手がかりを探し続けている。
東日本大震災で集落が壊滅した宮城県気仙沼市の杉ノ下地区で、震災直後に住民の希望となった「こいのぼり」が再び掲げられた。犠牲者の追悼と復興の証しとして、遺族会のメンバーが15年の節目に掲揚し、被災地の記憶と再生を伝える。
東日本大震災から15年を前に、宮城県気仙沼市と福島県双葉町で10日夜、支援への感謝と復興を願う明かりの催しが行われた。震災遺構ではイルミネーションが浮かび、駅前ではキャンドルが優しい光を放った。
東日本大震災から15年を迎えた宮城県気仙沼市で、当時の寒さと暗さを追体験する催しが開催。旧気仙沼向洋高校の中庭には感謝のメッセージが光り、被災体験を伝承する展示も行われている。
東日本大震災で妻を亡くした元消防士の佐藤誠悦さん(73)が、悪性リンパ腫と闘いながら語り部活動を継続。先月、国内外での講演が800回に達し、「妻への思いを伝えることが使命」と語る。震災の教訓と命の尊さを後世に伝え続ける決意を示した。
東日本大震災から15年、国は復興予算を削減し、被災者への支援打ち切りを進めている。宮城県気仙沼市などでは見守り事業の存続が課題となり、高齢化する被災者の孤立防止に向けた自治体の対応が分かれる。
東日本大震災で宮城県気仙沼市の避難所で過ごした奥玉雄大さん(22)が、メジャーリーグを目指しハワイで野球留学中。震災の記憶を胸に「生きているだけで幸せ」と感謝しながら、一球一球に思いを込めて投げ続ける姿を取材した。
宮城県気仙沼市で、高級食材フカヒレの天日干し作業が最盛期を迎えています。例年より早く始まった今季は、約3万枚を干す予定で、職人たちが寒空の下で一枚一枚丁寧に仕上げています。