「ぼく、野球がやりたい」―脳性麻痺の少年の願いが生んだ奇跡
脳性麻痺のため体がほとんど動かないにもかかわらず、「野球がやりたい」と願う少年がいた。その純粋な思いが、誰もが楽しめる「ユニバーサル野球」という新たなスポーツを生み出し、今ではその感動の物語が絵本となって多くの人々の心を動かしている。
元高校球児と少年の運命的な出会い
物語の始まりは2017年。障害者支援に取り組む堀江車輌電装の中村哲郎さん(57)が、都立小平特別支援学校に通う脳性麻痺の小薗陽広さん(当時小学生)と出会った。大好きな野球チームのユニホームを着てスポーツ教室に参加していた小薗さんは、中村さんにこう伝えた。「ぼく、野球がやりたい」。
北海高校出身の元高校球児である中村さんは、この言葉に深く心を動かされた。「声援を受けながら打席に立つあの高揚感は忘れられない。障害の重い子どもたちにも、同じ感動を味わってほしい」――そう強く思った中村さんは、バットを持ち上げて振ることが難しい小薗さんでも、自分の力でボールを打てる方法を模索し始めた。
試行錯誤の末に生まれた画期的なバット
中村さんは様々な試作を重ね、ついに画期的なバットを開発した。持ち手を固定し、先端に付けたピンを紐で引いて抜くことで回転する仕組みだ。さらに小薗さんの意見を取り入れ、打つ球は回転する台の上に置き、タイミングを計って打つ面白さも味わえるように工夫した。
中村さんは、実際の野球場のような雰囲気づくりにもこだわった。選手の名前が呼ばれて打席に入り、応援の中でプレーする――そんな体験を子どもたちに提供したいと考えたのだ。こうして生まれたのが、両翼約5メートル(実際の野球場の20分の1)の組み立て式盤上で球を転がす新しい形の野球だった。
第1回大会の大成功と全国への広がり
記念すべき第1回大会は2019年3月24日、小平特別支援学校の体育館で開催された。小薗さんを含む27人の子どもたちが参加し、会場は大いに盛り上がった。「打ててうれしい」と喜ぶ小薗さんの笑顔を見て、中村さんの苦労も報われた。
このスポーツは「ユニバーサル野球」と名付けられ、中村さんの会社の事業として全国各地への出張活動が始まった。最初に作った段ボール製の機材は使い込んでボロボロになったが、現在は木製を含む3機が稼働。全国の学校授業や地域イベントでこれまでに1万人以上が体験し、2024年にはニューヨークで元大リーガーの松井秀喜さんも楽しんだ。
絵本で伝える感動の物語
「はるひ(小薗さん)のために作ったものが、こんなに広がっていくとは思わなかった」と語る中村さんは、この物語をより多くの人に伝えたいと考え、絵本制作を思い立った。
絵本作家の山田花菜さん(51)が描き手として参加。大谷翔平選手の絵本も手掛けた山田さんは、分かりやすい文章と優しい色使いで32ページの絵本を完成させた。発行日は第1回大会と同じ3月24日に設定され、完成した絵本は高校生になった小薗さんの元へ贈られた。
絵本を受け取った小薗さんは「次はアニメにしてほしいな」とにっこり。体が自由に動かなくても、自分の望みをしっかり伝える小薗さんの意志の強さは、今も中村さんの原動力となっている。
誰もが楽しめるスポーツの可能性
ユニバーサル野球には守備がなく、両チームが交代で攻撃に入る。打った球が転がった場所によってヒットやアウト、ホームランが決まるシンプルなルールが特徴だ。障害の有無に関わらず、誰もが同じ条件で楽しめることが最大の魅力である。
絵本「ぼく、野球がやりたい! ユニバーサル野球ができるまで」(扶桑社・1760円)は、単なる障害者スポーツの紹介を超え、一人の少年の願いが多くの人を動かし、新たな文化を生み出した感動の実話として、全国の書店やオンラインで販売されている。
この物語は、スポーツの可能性と人間の優しさが交差する場所で生まれた、希望に満ちた現代の童話と言えるだろう。小薗さんの「野球がやりたい」という一言が、多くの人々の心を動かし、新たなスポーツ文化を築き上げたのである。



