熱血指導の挫折が生んだ「ノーサイン野球」
昨春の選抜高校野球大会で創部3年目で初出場を果たしたエナジックスポーツ高(沖縄県名護市)が実践し、注目を集めた「ノーサイン野球」。試合中にベンチから指示を出さず、選手たちの自主性を重んじるこの戦術の生みの親は、東亜大学(山口県下関市)の硬式野球部元監督、中野泰造氏(71)である。
「先生が信用できなかった」という言葉が転機に
中野氏は幼い頃から野球に親しみ、広陵高(広島市)では夏の甲子園でベンチ入りを果たすなど、選手としての経験を積んだ。その後、天理大(奈良県天理市)に進学し、教員採用試験に合格したことで高校野球部の指導者としての道を歩み始めた。
当初は熱血漢として知られ、「県内で一番練習させる監督」を貫き、部員に厳しく接していた。しかし、勝利にこだわる信念の強さが反発を生むこともあった。ある夏の県大会敗戦後、新チームを発足させようとした際、マネジャー以外の2年生全員が退部するという事態が発生した。
急きょ設けられた話し合いの場で、一人の生徒が発した「先生のことが信用できなかった」という言葉に、中野氏は返す言葉がなかった。この経験が、指導方法を百八十度転換させる決定的なきっかけとなったのである。
自主性を育む戦術の確立と成果
中野氏は、あえて指示を出さず、選手たちが自ら試合状況を判断してベストプレーを選択することを促す指導法を確立した。そのためにまず「選手たちを思いやる」という自身の姿勢を変える決意をした。
こうして生まれたノーサイン野球は、1991年に創部と同時に監督に就任した東亜大野球部で開花。わずか3年半で全国大会優勝に導き、2003年の明治神宮野球大会決勝ではサヨナラ勝ちで優勝を決めるなど、輝かしい成果を上げた。
現在の活動と戦術の進化
現在、中野氏は社会人チーム・三和テクノイノベーション野球部の監督を務める傍ら、ノーサイン野球の伝授に取り組んでいる。エナジックスポーツ高もその指導を受けるチームの一つだ。
「選手が頭を使って積極的にプレーし、失敗を次に生かすことでこの戦術は進化する。『小よく大を制す』ができるのがノーサイン野球です」と中野氏は語る。全国から指導依頼が寄せられる中、「自分の苦い経験から生まれたこの野球が多くのチームに必要とされている。光栄なことだ」と感慨深げに話している。
中野泰造氏は1954年8月生まれ、広島市出身。奈良県の高校教員として3校の野球部で計13年間監督を務めた後、91年に東亜大の監督に就任。座右の銘は「生きがいのある人生を送る」で、現在は山口県周南市在住である。