鈴木猛史選手、福島発の「相棒」でパラリンピック銅メダル 世界一への道は続く
鈴木猛史選手、福島の「相棒」でパラ銅メダル獲得

鈴木猛史選手、福島発の「相棒」でパラリンピック銅メダルを獲得

ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックは最終日の3月15日、アルペンスキー男子回転(座位)で鈴木猛史選手(37)が銅メダルを獲得した。鈴木選手を3大会ぶりの表彰台に導いたのは、故郷・福島で手に入れた新たな「相棒」、精密機械部品メーカー「エヌ・ティー・エス」と共同開発したチェアスキーの存在だった。

故郷・福島での出会いと挑戦の始まり

鈴木選手は福島県猪苗代町の出身で、小学2年生の時に交通事故で両足を切断。翌年から競技を始め、2014年のソチ大会で金メダルと銅メダルを獲得した実力者だ。しかし、それ以降は表彰台から遠ざかっていた。そんな中、2022年10月、北京大会から半年後、鈴木選手は福島県石川町の精密機械部品メーカー「エヌ・ティー・エス」を訪れた。チェアスキーと競技用バイクの構造に共通点があると聞き、わらにもすがる思いで開発を依頼したのだ。

初対面だったが、鈴木選手の真剣な表情を見た同社の生田目将弘社長(53)は覚悟を決め、2人の挑戦がスタートした。課題は速度を出すためのチェアスキーの軽量化だった。軽くしすぎると力がスキーにうまく伝わらず、ターンがわずかに遅れるというジレンマに直面。軽さとスムーズなターンの両立を目指し、生田目社長は海外遠征を含め何度もゲレンデに通って調整を繰り返した。

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困難を乗り越え、新たな「相棒」が完成

2023年冬、イタリアのゲレンデでは調整が難航し、成績不振が続いた。鈴木選手は「僕、もういいんです」と弱音を吐き、表彰台の頂点を狙う気概が薄れていた。海外まで付き合ってくれた生田目社長への申し訳なさもあったという。しかし、生田目社長は「俺たちなんでこんな山の中いるんだよ」と厳しい言葉を返し、「俺は勝たせたいんだ。『勝ちたい』って言ってくれよ」と発破をかけた。

この言葉で吹っ切れた鈴木選手は、弱音を吐かなくなり、遠慮がちだったチェアスキーに関する注文も積極的にするようになった。6台の試作を経て、スキーが完成したのは昨年9月のこと。暗く、長いトンネルをようやく抜けた瞬間だった。

銅メダル獲得とさらなる高みへの決意

表彰式後、鈴木選手は新たな相棒をたたえ、「やっと思い通りに動いてくれた」と喜びを語った。生田目社長への感謝も忘れず、「世界一ではなかったけど、まずは3位にはしてあげられた」とコメント。その目は、さらなる高みを見据えていた。鈴木選手の銅メダルは、技術革新と人間の絆が生み出した勝利の証と言えるだろう。

この活躍は、パラスポーツにおける地元企業との連携の重要性を浮き彫りにし、福島発の技術が世界の舞台で輝く可能性を示した。鈴木選手と生田目社長の挑戦は、今後も続いていくに違いない。

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