阿部友里香選手、被災地への思いを胸にパラリンピック挑戦 故郷の支えで前進
阿部友里香選手、被災地への思いでパラリンピック挑戦

被災地への思いを力に 阿部友里香選手のパラリンピック挑戦

東日本大震災から15年を迎えた今、特別な思いでミラノ・コルティナ冬季パラリンピックに臨む選手がいる。岩手県山田町出身の阿部友里香選手(30)だ。津波で自宅を失った経験を持ち、「自分の活躍が被災地のためになれば」との願いを胸に、距離スキーとバイアスロンの2種目で表彰台を目指している。

震災の記憶と競技への道

阿部選手は出生時の事故で左腕が自由に動かないが、子どもの頃から運動が好きだった。2010年のバンクーバーパラリンピックをテレビで観戦し、「障害があっても活躍できる世界がある」と感動。これをきっかけに距離スキーを始めた。

しかし、約2か月後の中学校卒業式を目前に控えた日、大きな揺れに襲われる。職員室で立っていられないほどの地震が発生し、高台の別の学校に避難。カーテンを羽織って一夜を明かした。家族は無事だったものの、沿岸部にあった自宅は津波にのまれ、跡形もなく消えてしまった。

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被災者としての葛藤と変化

盛岡市のスキー強豪校に進学後、頭角を現した阿部選手は、高校3年だった2014年のソチパラリンピックで距離スキー8位入賞を果たす。メディアからは「被災者の希望」と称賛されたが、本人には違和感が残ったという。

「私は家が流されたぐらい。もっとつらい人がいるのに」。この思いは、4年後の平昌大会、8年後の北京大会でも拭い去れなかった。被災者としての立場と、競技者としての役割の間に、常に葛藤が存在していた。

結婚・出産を経て実感した故郷の温かさ

転機が訪れたのは、結婚を機に福岡市に移り住み、長女・桜羽ちゃん(2)を出産してからだ。競技復帰後、合宿や遠征の際には、夫が仕事で忙しいとき実家に子どもを預けるため、山田町に帰省する機会が増えた。

実家にいる間、桜羽ちゃんは地元の保育園に通わせてもらい、大人になった友人たちは変わらず応援してくれた。今年2月に町が開催した壮行会には約200人が集結。「町の人たちに支えられているんだ」。ふるさとの温かみに触れる中で、ようやく素直にそう思えるようになったという。

被災地への思いを胸に競技に臨む

今大会最初の競技となった7日のバイアスロン女子7.5キロスプリント(立位)では11位に終わったが、阿部選手は沈んだ様子を見せなかった。レース後、「色々な方のサポートのおかげでこうしてスタートを切ることができてすごくうれしい。期待に応えられるように次のレースで頑張りたい」と前向きなコメントを残している。

津波で更地になった故郷には新しい家が立ち並び、復興が進む。一方、九州で暮らす中で、世間の被災地への関心が薄れていることも感じている阿部選手。「パラに私が出ることで、山田町や震災のことをもっと知ってもらいたい」。今ならそう言える心境に至った。

ミラノ・コルティナパラリンピックでの活躍が、被災地への思いと故郷の支えに支えられた、新たな一歩となることに期待が寄せられている。

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