東海地方の車通勤と大規模災害 企業の善意が招く帰宅困難者問題
2011年3月12日午前0時、埼玉県内の自宅を出た長柴美恵さん(58)はハンドルを握り締めていた。東日本大震災の発生後、会社員の長男がたどり着いた都心の駅に向かうためだったが、幹線道路も裏道も深刻な渋滞に陥っていた。数十センチ動いては止まる状態が続き、普段なら30分で着く距離に2時間もの時間を要したという。
震災の教訓と車避難の現実
2011年の東日本大震災では、被災者の半数以上が車で避難し、その結果津波にのまれて犠牲になった人々がいた。都市部では交通網がまひして大規模な渋滞が発生し、地方では道路ががれきでふさがれ、多くの集落が孤立する事態となった。車が当たり前の日常となった現代社会で、大規模災害が発生した際にどのように備えるべきか。その模索は今も続いている。
道中、長柴さんはハイヒールを手に持ちスリッパで歩く女性や、革靴のかかとを踏みつぶして歩く男性の姿を目にした。これらは都内から歩いてきた帰宅困難者たちだった。東日本大震災後には帰宅困難者が街にあふれ、渋滞した車列の間を縫うように進む歩行者の光景が各地で見られた。
企業の善意が招く「街への放出」問題
「『帰っていいよ』との善意による判断で、多くの企業が従業員を街に放り出してしまった」。11日の揺れの後、都内の職場を出た長柴さんの長男も、乗車した地下鉄が途中で止まり、夜の運転再開まで足止めされる経験をした。首都圏では500万人以上が帰宅困難になったと推計されている。道路は帰宅や迎えの車で埋め尽くされ、緊急車両の通行さえ妨げられる状況が生じた。
2020年の国勢調査によると、自家用車のみで通勤する人の割合は東京都で9%、埼玉県で34%である。しかし、愛知県では54%に達するという高い数値が示されている。車通勤が多い東海地方で大規模災害が発生した場合、どのような事態が予想されるのだろうか。
東海地方で予想される大規模渋滞とその影響
名古屋大学の山本俊行教授(交通計画学)は、最大規模の災害が起きた時の愛知、岐阜、三重の都市部における車の動きを詳細にシミュレーションした。その結果、「車での帰宅は都市部での大渋滞を誘発するだけでなく、沿岸部の人々が津波に巻き込まれるリスクを増大させる」と警告している。
シミュレーションが示す深刻な現実
シミュレーションでは、平日正午に南海トラフ地震級の巨大地震と津波が発生し、3県の都市部で職場や学校にいた約600万人のうち、約320万台の車が一斉に帰宅すると仮定した。その結果は衝撃的で、発災からわずか5分後には各地で千台以上が連なる大渋滞が発生することが明らかになった。
1時間後も、帰宅の車と避難の車が交錯する名古屋市南西部や愛知県豊橋市では渋滞が継続。国などが想定する最大規模の津波被害の場合、約45万台の車が水没し、一部で犠牲者が出ると予測された。
名古屋市の危険箇所と住民の声
名古屋市が名古屋駅、栄・伏見駅に次いで帰宅困難者が多いと予想している金山駅周辺も、津波浸水域に近いため渋滞が予想される。低い土地が広がる港区からの市道と、東西に走る県道が交わる駅から3キロ西の交差点は、普段から交通量が多いことで知られる。
近くで働く70歳の女性は「災害が起きたらすぐに渋滞し、道路はぐちゃぐちゃになるでしょう」と懸念を口にする。別の商社に勤める59歳の男性社員は「津波のときに車で帰ろうとは思わないが、具体的な対策は何もない。社用車に乗る社員は自己判断するしかない状況だ」と現状を語った。
渋滞緩和のカギとなる情報活用と備え
渋滞を減らす鍵となるのは、適切な情報の提供と共有である。山本教授のシミュレーションでは、車を利用する人が家族の安否や災害の情報を迅速に入手できれば、当日は職場や学校にとどまる選択をする人が増え、帰宅の車は3県の都市部全体で35万台減少し、浸水域の車も1割減ると想定された。
具体的な対策とツールの活用
災害用伝言サービスのような家族との連絡手段や、帰宅困難者向け施設を案内する名古屋市防災アプリなどの積極的な活用が求められる。これらのツールを効果的に利用することで、不必要な移動を減らし、緊急車両の通行確保にもつながると期待されている。
個人と企業の防災備蓄の重要性
15年前に渋滞を経験した長柴美恵さんはその後、災害への関心を強め、一般社団法人「防災備蓄収納プランナー協会」を設立した。同協会では、会社や家庭に非常食や衣料品、非常用トイレを備蓄するよう、収納方法と心得を提案している。
長柴さんは「社内で寝泊まりができるよう、経営者も従業員も対策を進めてほしい。命を守るためには十分な準備が必要だ」と訴えている。企業の善意が逆効果とならないよう、適切な帰宅判断と備えの両面からのアプローチが、今後の防災対策において不可欠となっている。



