広島原爆からの復興を支えた集合住宅が歴史に幕
広島市の原爆復興の象徴として、昭和30年代に建設された市営住宅「基町アパート」が、老朽化のため2026年3月に廃止されることが決定した。爆心地から北に約900メートルの場所に立ち並ぶ16棟の中層建築物は、被爆者らが半世紀以上にわたって生活を営んできた場所であり、その取り壊しは地域の歴史の一ページが閉じられることを意味する。
「ついのすみか」と思っていた住民たちの寂しさ
廃止方針が決まった基町アパートの中層棟の隣には、サンフレッチェ広島のサッカー場「エディオンピースウイング広島」が位置している。このコントラストは、時代の変化を如実に物語っている。建物が消えることに対して、住民たちは複雑な感情を抱いている。
「家の裏で、子どもたちが仲良くはしゃぎ、にぎやかでやかましいぐらいでした」
こう振り返るのは、基町アパートで暮らす95歳の被爆者、増野幸子さんだ。彼女は広島電鉄家政女学校2年生の15歳の時、学校近くの寮で被爆し、多数のガラス片を浴びて負傷した経験を持つ。その後、結婚して子ども2人をもうけ、このアパートで家族と共に過ごしてきた。12年前に夫が亡くなってからは一人暮らしを続けている。
変わりゆく街並みと消えゆく思い出
増野さんは、アパートの雰囲気が様変わりしたことに寂しさを感じている。「子どもの声が聞こえなくなったのは寂しい。どんどん廃れていく」と語る。一方で、「家族と暮らした思い出の部屋だけど、建物は古くなった。なくなるのは仕方ない」と現実を受け止めている。
基町アパートは、ガスで沸かす風呂など、かつての生活様式を残す貴重な存在でもあった。しかし、老朽化が進み、維持が困難となったため、市は廃止を決断した。これにより、住民たちは「これまでと違う生活」を余儀なくされることになる。
復興の歴史を刻んだ建築物の終焉
基町アパートは、戦後の広島市が復興に向けて歩み始めた昭和30年代に建設され、被爆者や市民の住まいとして重要な役割を果たしてきた。その存在は、原爆の惨禍から立ち上がる街の象徴として、多くの人々の記憶に刻まれている。
廃止が迫る中、住民たちは次のような思いを抱いている。
- 長年過ごした家への愛着と寂しさ
- 地域コミュニティの変化に対する不安
- 復興の歴史が失われることへの感慨
2026年3月の廃止までには、住民の移転支援や建物の記録保存など、様々な課題が残されている。基町アパートの取り壊しは、単なる建築物の消滅ではなく、広島の戦後史の一つの章が閉じられる瞬間となるだろう。



