進学校と自衛隊出身の山上被告、職場で評価された真面目な仕事ぶり
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への解散命令の発端となった安倍晋三元首相銃撃事件。殺人罪などに問われた山上徹也被告(45)は、海上自衛隊を3年で退職後、奈良に戻り派遣の仕事を転々とした。その足取りが読売新聞の取材で明らかになった。
教団への怒りを増幅させ事件へと向かう中、職場ではどのような態度を見せていたのか。読売新聞記者が執筆した書籍「絶望の凶弾~安倍元首相銃撃事件 山上被告を追った1294日」から一部を抜粋・再構成する。
測量補助としてのスタート
25歳を目前に海上自衛隊を退職した山上被告が最初に就いたのは、2006年12月からの奈良市内の測量会社でのアルバイトだった。田んぼの中にぽつんとたたずむ小さな事務所で、従業員は10人に満たない規模である。
社長は取材に対し、「山上君のことは覚えてるわ。影は薄かったけど、物覚えが良い、頭のええ子やったんよ」と回想する。測量補助の募集に応募してきた山上は、「測量の仕事に興味がある」と語ったという。
祖父が建設会社を立ち上げ、父親も同業で働いていたことが影響した可能性があるが、家族のことを社長に話したことは一度もなかった。
3人1組の現場作業と評価
山上は3人1組の現場作業に参加し、道路や建物の工事現場へ軽ワゴン車で向かう社長らに常に同行した。社名の入った作業着姿で測量機器や三脚の積み下ろしを担当し、30歳以上離れた社長らによる精密な測定と図面作成をサポートした。
当時の日給は6000~7000円で、現場があれば土日も働いた。会社は特殊な機器を所有しており、引き合いがあれば遠方まで出向くことも多かった。
「しゃべらへんけど、芯のしっかりしたやつ」
社長は山上について、「四六時中一緒におってもあんまりしゃべらへん、おとなしいヤツやった。好きな芸能人は誰やとか、そんな話をした記憶もない。特徴はつかめんかったな」と語る。
しかし、沖縄本島南東部の中城村での埋め立て工事出張中、無線機のバッテリー紛失を巡る一件では、山上が反論してきたという。「それ、そんなに高いんですか?」と不満そうに言い、最終的に「海に落としてしまったんだと思います」と紛失を認めた。
社長は「物を大事にしよらへんなと思ったんや」と苦笑いしながらも、「仕事はちゃんとしてたし、さすが進学校と自衛隊を出てるなと思ったもんや」と評価していた。
半年で退職、その後もリフトマンとして
山上は半年でこの仕事を辞めた。退職理由について、後に別の会社の面接で「仕事量が減ってきたから」と述べている。社長は「競合他社は多くて、安定して仕事を受注できるようになったのは、山上君が辞めた後なんよ」と話し、説明が創作ではないことを示唆した。
その後、山上は働き先を変えながら、工場などでフォークリフトを使って物品を運ぶ「リフトマン」の仕事を続けた。20年5月まで1年3か月働いた食品工場では、真面目な仕事ぶりでトラブルは一切なかったという。
事件前年からの変貌
しかし、20年10月に採用された京都府内の工場では、それまで見られなかった勤務態度が現れ始めた。自衛隊退職後、8か所目の職場であるこの工場で、山上は週5日、午前8時から午後5時まで働いた。
人材派遣会社の社長らによると、面接では聞かれたことに言葉を返すだけで会話が続かず、工場の上司は「あいさつしたら、ぺこっと頭を下げる程度」と語る。同僚も「ほとんどしゃべらない人でしたわ。昼食の時も、食堂には全然来なかったんでね」と証言する。
山上は通勤用の駐車場にとめた自分の車の中で一人で昼食をとり、喫煙所でも同僚とは会話をしなかった。
粗暴な振る舞いのエスカレート
同僚と交流しようという意欲が乏しいのは以前からだったが、作業手順を守らないことが散見されるようになったのは、働き始めて半年が過ぎた21年4月頃からだ。
工場の責任者によると、2人組で進める作業で事故防止のために決められた声かけをしないなど、安全規則を無視する行動が見られた。初めは指導に応じていたが、やがて指摘されても返事をせず、反抗的な態度を示すようになった。
しばしば言い争いになった60歳代の派遣社員は11月頃、「山上とはもう働きたくない」と言って退職してしまった。
ツイッター投稿と事件への傾斜
その頃、山上はツイッター(現・X)に職場に関する投稿をしている。意味は取りにくいが、パワハラ被害を訴える人を批判するかのような独りよがりの内容だった。
事件を起こす22年になると、山上の振る舞いはさらにエスカレート。問題視した工場側は、契約更新を検討し始めたという。
海上自衛隊や測量会社の時とはまるで別人のように変貌するまでに、何があったのか。同僚たちは山上の人物像をどう読み解いたのか。詳細は書籍で伝えられている。



