山形藩初代藩主・最上義光(よしあき)について、新たに発見された資料を交えながら解説する「最上義光研究最前線」が16日、山形大学小白川キャンパスで開催された。義光が庄内地方の発展の基礎を築いたとする講演に、歴史ファン約120人が熱心に耳を傾けた。
新資料が示す義光の庄内統治
義光研究を進める同大学の松尾剛次名誉教授(日本中世史)は、今年1月に発見された慶長17年(1612年)6月4日付の古文書を紹介。これは、下山添八幡宮(鶴岡市)の下役人に土地を与えることを命じた資料で、義光による庄内統治の実態を示す貴重なものだ。松尾名誉教授は、同日付で以前から知られていた資料も提示しながら、「山形だけでなく、庄内も義光が発展させたことを忘れてはいけない」と熱く語った。
義光の功績:北楯大堰と鶴岡の命名
講演では、義光が北楯大堰の開削を命じたことや、現在の鶴岡市の地名の名付け親となった功績も紹介された。慶長14年(1609年)の文書には、義光が庄内の安泰を祈念して、現在の鶴岡周辺を「鶴ケ岡」と命名したことが記録されている。聴講者は時折うなずいたり、笑みを浮かべたりしながら、講義を楽しんだ。
参加者の声と今後の展望
酒田市二番町の会社員男性(52)は、「鶴岡の名前の由来が、これまで聞いてきた通説と資料では異なることが分かり、面白かった。義光は近年評価が高まっており、もっと知られるべき人物だ」と語った。松尾名誉教授は「庄内からの参加者も多く驚いたが、活動の広がりを感じた。今後、さらなる資料が出てくると確信している」と自信を見せた。



