売り出され、一時は解体も危ぶまれた大正建築がよみがえった。東京都台東区の木造住宅「桜縁荘(おうえんそう)」(旧唐木田家住宅)が2026年5月、改修・修復工事を終えた。著名な建築家が手がけたわけでも、広く知られた名所でもない。それでも「この風景を残したい」との思いが、建物を未来へつないだ。
庶民的な建物が「今では貴重な存在」
「ここは特別な名建築ではなく、当時としてはごく標準的な建物なんです」。寺院が点在する住宅街の一角にある家で、施工を手がけた川原温さん(43)はこう切り出した。地元を拠点に、寺社修復にも携わる大工だ。「庶民的な建物は、ありふれていたからこそ多くが失われた。桜縁荘のような建物が、今では貴重な存在です」
1階、2階の座敷とも、庭側にL字形の縁側が巡らされ、窓には当時からの吹きガラスが残る。建具を開け放つと庭と室内が一体となるような開放感があり、柔らかな光と風が流れ込む。間取りは当時の姿を残し、かつての暮らしの気配が伝わってくる。
「取り壊しが近づいたけど、諦めきれなかった」
桜縁荘は1920(大正9)年、隣接する豆腐店が貸家として建てた。昭和の初め、長野県選出の衆院議員・唐木田藤五郎氏が購入。親族が所有し、人々に住み継がれながら、地域に開く催しにも使われた。春に咲き誇る庭の桜にちなみ、往時の住人が「桜縁荘」と名付けた。老朽化などから2022年末に手放され、解体の危機に直面した。
古民家は相続や耐震化、改修費用の壁に阻まれ、姿を消していく。桜縁荘もまた、その道をたどるはずだった。
転機となったのは、地域住民らの働きかけだった。NPO法人「たいとう歴史都市研究会」が買い手を探し、交流サイト(SNS)などで保存を呼びかけた。しかし、建物の行く末はなお見通せなかった。同会理事長の椎原晶子さん(62)は「地域の記憶を伝える建物と美しい桜を失ってはいけない、との一心でした。取り壊しが近づいたが、諦めきれなかった」と振り返る。
それでも発信を続けるうちに思いは広がった。やがて、建物を未来に引き継ぐ意義に共感した人が取得。椎原さんは「新しい所有者と巡り会えたのは奇跡的で、ありがたいことです」と話す。
持ち味を損なわないように工夫を重ね
当時、建物は雨漏りや傷みが進んでいた。2024年春には、地元の設計事務所「HAGISO(ハギソウ)」の代表で建築家の宮崎晃吉(みつよし)さん(44)が中心となり、棟梁に川原さんを迎えた再生プロジェクトが始動した。
「こうした建物は一度なくなると再現が難しく、取り返しがつかない」と宮崎さん。使い続けられる建物を目指す中、最大の課題が耐震化だった。縁側や庭とのつながり、障子越しの柔らかな光などを損なわないよう工夫しながら、安全性を高めていったという。
修復では、元々の構造材や化粧材をできる限り生かした。川原さんは「残せるか、取り換えるか、部材一つずつ見極めた」と話す。「諦めなければ古い建物はすてきな姿でよみがえる。地域に親しまれてきた桜も残すことができました」
国の登録有形文化財にも登録
宮崎さんも「この建物を壊す理由はいくらでもあった。それでも残したい、という意志が人を動かしたんです」と笑顔を見せた。
近隣住民からも安堵の声が上がる。2024年末には国の登録有形文化財にもなった。今後は所有者が住む一方、見学会や文化催事に合わせ、公開の機会も設けられる予定だ。
来春もここで桜が咲き、新たな縁を結んでいく。



