東日本大震災から15年、被災経験を糧に広島で教鞭を執る25歳女性教師の思い
震災から15年、被災経験を糧に広島で教える25歳女性教師

被災経験を教育に生かす25歳女性教師の決意

東日本大震災から15年となる2026年3月11日、広島市立みどり坂小学校(安芸区)で勤務する三浦友菜さん(25)は、教え子たちに震災の記憶を伝える特別授業を行う予定だ。福島県いわき市で被災後、広島に避難して教師の道を選んだ三浦さんは、自身の経験を次世代に継承する使命を感じている。

あの日、福島で経験した恐怖

2011年3月11日、当時小学4年生だった三浦さんは、いわき市の小学校でマーチングの練習中だった。突然の激しい揺れに襲われ、上履きのまま校庭へ飛び出した瞬間、再び地面が大きく揺れた。すぐ後ろでは背丈より高い下駄箱が倒れていた。「あと一歩遅かったら……」という恐怖が今も記憶に刻まれている。

同市では最大震度6弱を観測し、沿岸部は津波による甚大な被害を受けた。三浦さんの家族は全員無事だったが、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生により、祖母が住む広島市安芸区への避難を余儀なくされた。

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広島での新たな生活と支え

携帯電話を持っていなかった三浦さんは、友人たちに別れのあいさつもできず、母が広島に来るまで半年以上、父は福島に残ったままとなった。家族や友人と離れた生活に寂しさが募り、転校先の小学校のトイレで一人泣く日々もあった。

「あの頃は本当につらくて、ほとんど記憶がない」と振り返る三浦さんを支えたのは、大好きだったマーチングだった。中学生になって吹奏楽部に入り、友人と練習するうちに寂しさは徐々に薄れていった。顧問の先生は、福島でやっていたことを知り、音楽に合わせて旗を振る「カラーガード」を任せてくれた。

震災の話をあえて聞かずに寄り添ってくれた友人、避難訓練の際に事前に教え「参加しなくてもいいよ」と配慮してくれた先生。周囲の優しさに支えられ、広島は少しずつ「自分の居場所になっていった」。

教師としての使命と決断

山口大学を卒業後、2023年春に幼少期から憧れていた教師の道へ進んだ。福島に戻る選択肢もあったが、「広島で多くの人に支えてもらって今の自分がいる。支える側として恩返しがしたい」と決断し、みどり坂小学校へ配属された。

その年の夏、小学6年生時の担任から、イベントで東日本大震災のことを話してほしいと頼まれた。当初は「大きな被害を受けておらず、震災を語れる人間ではない」と断ったが、心の片隅に引っかかるものが残った。自分にもできることはないかと考え続けるうちに、「当たり前の日常を奪われる苦しさを伝えることはできる」と思い至った。

上司に相談し、毎年3月11日に担任クラスで被災経験を語るようになった。写真を多く取り入れた自作教材を使い、過去2年の授業では涙を流す児童や「家族の大切さを感じた」と話す児童も現れた。

児童たちへのメッセージ

今年度は1年生を受け持つ三浦さんは、地震が起きるとどうなるかを具体的に教える予定だ。「広島での生活を選んだことに後悔はないが、今でも福島の友人たちのことは考える」と語る。

児童たちが同じ苦しみを味わわないよう祈りながら授業に臨み、何よりも伝えたい言葉がある。「今の生活を大切に、後悔しないように生きてください」。このメッセージこそが、三浦さんが被災経験から得た最大の教訓であり、次世代へ託す願いである。

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