白血病再発で視覚障害に…医学の進歩を恨んだ苦闘、中川桃子さんの克服の道
白血病の再発により視覚障害となった三重県亀山市の中川桃子さん(36)が、読売新聞のインタビューに応じた。白血病の症状が消失する「寛解」から5年半が経過した2017年夏、まさかの再発が確定。中川さんは「一時は医学の進歩を恨んだ」と告白し、つらい治療とどう向き合い、克服したのかを語った。本記事では、その苦闘と前向きな活動を2回に分けて紹介する。
寛解後の看護師生活と再発の予兆
中川さんは、寛解後の2012年9月から母校の藤田保健衛生大学(現藤田医科大学)病院で看護師として活躍していた。しかし、再発の可能性について母に「もし再発したら、もう治療は受けない。そのときは寿命だと思って」と伝えていたという。治療のつらさ以上に、周囲との環境の違いが精神的な負担となったと振り返る。
「学生時代は、卒業式に出席できない、サークルの追い出しコンパにも参加できない…やりたいことが何一つできないつらさがきつかった」と語る。急性前骨髄球性白血病という出血傾向の強いタイプで、緊急入院時から「死の崖っぷち」に立たされていた経験から、「死に対する恐怖心」は少ないという。一方で、「医学の進歩がなければ、つらい治療を受けなくて済むが、代わりに待っているのが『死』だ」と複雑な思いを明かした。
再発確定と安堵の思い
2017年8月、鈴鹿市の病院で再発が確定。寛解から5年が経過し、予後は順調だったが、春頃から頭痛が始まり、6月には働けなくなった。いくつかの病院でMRI検査を受けたが異常は見つからず、7月半ばに実家でてんかん発作を起こし救急搬送された。
脳神経外科や血液内科での検査で、軽度のくも膜下出血と「脳静脈洞血栓症」と診断されたが、8月に脳の脊髄液検査で白血病細胞が発見された。中川さんは「ショックより『やっと原因が分かった』という安堵の思いが強かった」と語る。当時は猛烈な頭痛やてんかん発作に苦しみ、母が「桃ちゃんはもう死ぬんだ」と悟ったほどの深刻な状態だったという。
学生時代に聞かされた生存率8割以上の記憶がよみがえり、「ああ、私は2割に入ったんだな」と思ったと振り返る。その後、藤田保健衛生大学への転院が決まった。
視覚障害を乗り越え、共生社会を目指す活動へ
中川さんは1990年亀山市生まれ。現在は「誰もが暮らしやすい共生社会」を目指すユニバーサルデザイン・アドバイザーとして活動している。小中高校や大学、地域で実体験を語る講演を行い、「あなたに今、何ができるか考えてほしい」とメッセージを伝えている。
白杖を手に「1人で出歩くのもトレーニング」と前向きに取り組み、最新式の図書館を「公私ともに居心地の良い空間」と評価するなど、日常生活での工夫も続けている。白血病と視覚障害という二重の苦難を乗り越え、社会貢献に励む姿が注目されている。
