長嶋茂雄さん死去1年、宮崎でファンが思い出語る「今でも生きているのでは」
長嶋茂雄さん死去1年、宮崎でファンが思い出語る

プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍した長嶋茂雄・終身名誉監督が昨年6月に89歳で死去してから、3日で1年となった。宮崎県内で長嶋さんと交流のあった関係者やファンが思い出を語った。

ファンが語る長嶋さんの思い出

門川町平城西の江藤栄さん(85)は、長嶋さんが選手だった約60年前に撮影した写真を大切に保管している。江藤さんは、長嶋さんが東京六大学で活躍していた頃からのファン。JR宮崎駅近くにあり、巨人が1959~74年に春季キャンプを行っていた旧県営球場にも、延岡市内で働きながら毎年のように訪れていた。

同球場で写真を撮影したのは、江藤さんが20歳代半ばだった65年頃。グラウンド内で「背番号3」を見つけると、5メートルほどの距離まで近寄って低い位置からそっとファインダーをのぞいた。そばには誰もおらず、江藤さんの存在に気づいた長嶋さんは急にバットを構え、撮影に応じたという。試合さながらに鋭い眼光でバットを構える姿が印象的で、江藤さんは国民的スターだった長嶋さんの気さくな人柄に驚きつつ、夢中でシャッターを切ったことを覚えている。

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長嶋さんはプロ入り直後からチームの要として走攻守で活躍し、常に注目を集めていた。宮崎でのキャンプ中、当時の選手の多くは黙々と練習していたが、スター選手だった長嶋さんはファンからの声援に手を振るなど親しみやすい存在だったという。「長嶋さんはファンサービスを大事に考えていた。長嶋さんもファンにつられて(行動して)いたんでしょう」と江藤さんは振り返る。

江藤さんは15年ほど前、木の枝を伐採中に転落する事故に遭って以降、足腰が弱くなり、近くの運動公園で階段を上るなどして回復に努めた。長嶋さんは2004年、脳梗塞を発症。懸命なリハビリに取り組む様子に江藤さんも励まされたという。「(テレビなどで)あの姿を見ると勇気が出た」と振り返る。長嶋さんが亡くなって1年。「長嶋さんには華があり、常にファンのことを考える特別な選手だった。憧れの人です」と思いを寄せた。

第二の故郷・宮崎での交流

長嶋さんが選手時代からよく通っていた宮崎市の老舗うどん店「重乃井」の伊予展子さん(76)は「長嶋さんが『宮崎は第二の故郷で、重乃井は親戚みたいだ』と話していたのが目に浮かぶ。今は感謝の気持ちでいっぱい」と思いを寄せた。

長嶋さんと数十年にわたって親交があり、同市に住む元日本テレビアナウンサーの小川光明さん(86)は「長嶋さんの笑顔でかっこよかった姿を思い出す。今の巨人を見て『まだまだ先はある。頑張れ』と声をかけているだろう」と話した。同市の女性(77)は長嶋さんのファンで、難病を抱えた娘(53)とともに、長年交流があったという。女性は「(亡くなって)1年たつが、今でも監督が生きているのでは、と思うことがある」と語った。

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