マルチ弦楽器奏者で執筆家の高田漣が、自身の東京にまつわるエピソードを連載する「私の東京物語」。第9回は、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)との深い縁と、中目黒周辺での思い出を語る。
高橋幸宏さんとの出会い
高橋幸宏さんとの出会いをきっかけに、高田の音楽環境は大きく変化した。幸宏さんのソロプロジェクトや、pupa(プーパ)の結成、さらにYMOのサポートメンバーとしての参加など、めまぐるしい日々が続いた。これらの出来事は、まるで夢のように次々と展開していったという。
坂本龍一さんとの初仕事
坂本龍一さんとの初仕事では、いきなり父の旧友の話題が出て驚いたが、それを機に縁が一気に太い幹のように成長した。高田が小学生になる前から、吉祥寺界隈では「サカモト」という天才的な芸大生ピアニストの存在が語られていたという。アコースティックな弦楽器を専門とする高田が、テクノの世界に足を踏み入れた珍道中を、故・川勝正幸さんは「TOKYOメトロの路線図」や「裏音楽図鑑」として描こうとしていた。
師匠・細野晴臣と中目黒の思い出
最も多く演奏したのは師匠の細野晴臣さんで、公私にわたり最も多くメールや会話を交わしたのは「教授」こと坂本さん、そして最もご馳走になったのは幸宏さんだったと振り返る。pupaやYMOのリハーサル後は、中目黒駅から山手通りを池尻方面へ向かった青葉台にある「ムッシュヨースケ/マダムキコ」へ行くのが定番コースだった。そのまま幸宏さん行きつけのバー、世田谷区下馬の「オカヴィラージュ」まで足を伸ばすと、空が白み始めていたという。今となっては、そのすべてが夢だったのではないかと思えてしまうと高田は語る。
音楽は止まらずに残る
しかし、音楽は止まらずに残り続ける。そして、その思い出をこうして書き続ければ、いつでもまたみなさんに会える。だからこそ、高田は今日も書き続けるのだと締めくくっている。



