出版と美術は古くから深い関係にある。創業130年の新潮社が、長年使われていなかった出版倉庫を改装し、美術・工芸のギャラリー棟「soko」を開業した。今週は特別企画として、読書委員の美術史家・金沢百枝さん、歌人の大森静佳さん、同社の菅野康晴さんが、この古くて新しい空間で美と言葉、書物について語り合った。
時間を感じさせる建造物
菅野氏は「東京・神楽坂のこの建物は1959年、戦後の出版業隆盛期に約500万冊を収められるように建てられた。約30年使われないままでしたが、梁が太く数も多く、非常に頑丈に作られている」と説明する。大森さんは「コンクリートの梁に木目のようなものが残っている」と指摘。菅野氏は「当時は木の型枠にコンクリートを流し込んだため、表面に板の痕跡が残る」と答えた。
大森さんは「建物に時間が滞留している。時間への恋のような迫力を感じさせる」と述べ、金沢さんは「海外でも使われていない建物をギャラリーなどに転用する例はあるが、出版倉庫は聞いたことがない。古い建築物を大切にした素晴らしい取り組みだ」と評価した。
本は美術や工芸を理解する手掛かりに
菅野氏は「新潮社は文芸とジャーナリズムが柱だが、美術も大切にしてきた。私も『芸術新潮』や『とんぼの本』、『工芸青花』を担当している。13年前、青花の編集室が倉庫内にできたことでこの建物が好きになり、今回の事業につながった」と語る。
金沢さんは「2階より一足早く、一昨年にオープンした3階のギャラリー『青花室』で、私が監修した『ロマネスクと私たち』展を開いた。西洋中世のロマネスク美術・建築をイメージした日本の作家のグループ展だ」と振り返る。
菅野氏は「改装を監修したのは建築家の中村好文さん。2階には7つのギャラリーが入り、3階には『古道具坂田』の店主・坂田和實さんが集めた布、器、家具などの古道具を展示公開する『坂田室』を設けた。『なんともないものこそ美しい』という坂田さんの考えを伝える場にしたい」と述べた。
大森さんは「骨董市が好きで、山のように並べられた中から一つ取り出して畳の空間に置くと、命が宿るように感じた。普段は見向きされない言葉が詩の中に置かれ、新たな輝きや美が生まれるのと似ている」と語る。
金沢さんは「今日は美術に関する本として、坂田さんの『ひとりよがりのものさし』を持ってきた。坂田さんの鋭い目で集めた物とエッセーが掲載されている。亡くなられた後も、本があるからこそどんなものが並んでいたか分かる」と言う。菅野氏は「本は美術や工芸を理解する手掛かりになるはず。物を詩や和歌のように読み解くこと、その解釈の蓄積が文化なのかなと思う」と付け加えた。
理屈や意味を超えて直観的に
大森さんは「詩歌の場合も、鑑賞が作品の魅力を損なわないようにしたいと常に思うが、美術館では解説が長すぎたり記号的だったりすることが気になる。ここの展示は説明が簡素で解放感があった」と評価。金沢さんは「言葉で表現できるものは言葉にすればいい。美術や物は究極的には語り得ないものもある」と応じる。
大森さんは「芸術を言葉にするとき、客観的な描写より、自分の主観や五感に引き寄せて詩的言語で語ることにも可能性を感じる」と述べ、菅野氏が「それは、どう見たか感じたかを短歌で表現し直すことか」と問うと、大森さんは「はい。それで私の一冊は『クレーの天使』。パウル・クレーの絵に谷川俊太郎さんが詩をつけた。谷川さんの詩は、絵を見たときの意味や理屈を超えて直観的に迫ってくることが言葉にされている」と紹介した。
金沢さんは「美術や芸術はその領域が確固としてあるものではなく、クレーの絵と谷川さんの詩が呼応し合って新たな次元の作品となっているように、境界領域を押し広げることで豊かになる。出版倉庫がギャラリーになったこのsokoも、書評も、同じように境界を広げる仕事かもしれない」と語る。
大森さんは「今日この場所を訪ねて、いつもと違う時間の流れを感じた。読書も、情報があふれる現代で速い時間の流れに対する抵抗のような意味合いがあるかもしれない。また時間があるときに訪ねたい。短歌も生まれそうだ」と締めくくった。
大森さんはその場で一首詠んだ。「胸の梁に月のひかりが射すまでをふるき倉庫としてわれも立つ」
施設情報
住所:東京都新宿区矢来町71
時間:午前11時~午後8時(毎月第3水曜、年末年始は休館。ギャラリーにより異なる)
プロフィール
坂田和實:大学卒業後、商社勤務を経て東京・目白に古道具店を開く。ヨーロッパ、アフリカ、日本などの品物を独自の価値観で選び紹介。千葉県長南町に自身のコレクションを展示する美術館も建設。
菅野さんのお薦め本:中村好文『意中の建築』(上下巻、新潮社)。古今東西の建築を素人にも分かりやすく臨場感ある筆致で綴った本。sokoという空間を考える上でも参考になる。
大森静佳:1989年、岡山県生まれ。歌集『てのひらを燃やす』で現代歌人協会賞、『ヘクタール』で塚本邦雄賞。
金沢百枝:1968年、東京都生まれ。インドや英国で育つ。多摩美術大教授。『ロマネスク美術革命』でサントリー学芸賞。
菅野康晴:1968年、栃木県生まれ。1993年新潮社入社。「工芸青花」編集長を務め、講座や展覧会も手掛ける。



