豊臣秀吉は愛知県江南市出身か?河内教授が講演で新説の根拠を解説
豊臣秀吉は江南市出身か?河内教授が講演で新説解説

戦国武将、豊臣秀吉は現在の愛知県江南市で生まれたのではないか――。こうした説を著書で紹介した奈良大学の河内将芳教授(日本中世史)による講演会が24日、江南市のすいとぴあ江南で開かれた。事前申し込み開始から数時間で定員に達するほどの関心を集め、市内外から約250人が聴き入った。

秀吉の出生地をめぐる通説と新説

秀吉の出生地については、秀吉没後の江戸時代に書かれた「太閤記」や「太閤素生記」から、現在の名古屋市中村区が通説とされている。一方、秀吉が生きていた時代に書かれた「関白任官記」には「尾張国飛保村雲」という地名が記されており、江南市には「飛保」や「村久野」の地名が今も残っている。

講演会の内容

講演会はすいとぴあ江南と市観光協会が主催した。河内教授は冒頭、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・秀長は「温厚」といったイメージがあるが、人物のイメージは後世にまとめられた「編さん物」によって定着することが多いと指摘。研究では当時の人々が記した古文書など、できる限り「一次史料」を調べる重要性を説明した。

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その上で、太閤記、太閤素生記、関白任官記の記述についてそれぞれ解説。関白任官記には秀吉が天皇の血を引く「王氏」などとする記述があるため、全体の信ぴょう性に疑問が持たれてきたが、「恐らく秀吉が語った内容を側近の大村由己が聞き書きしたもの。荒唐無稽の一言で片付けてはいけないのではないか」と指摘した。

河内教授は、関白任官記は同時代の別の記録から近衛家など公家も見聞きしたとされ、庶民出身の秀吉が関白任官を公家社会に納得させるために必要な「出自の公式見解とも言える」とし、「史料としての価値は決して低くない」と強調した。

江南市との関係

飛保や村久野を含む「葉栗郡」との関わりについては、秀吉が仕えた織田信長が美濃攻めに動く際に重要な地域であったことや、秀吉に関する最古とされる古文書に「宮田(葉栗郡)」と地名があることを紹介。さらに、フジで有名な曼陀羅寺(前飛保町)に残されている秀吉の禁制や判物などから、関係の深さがうかがえると述べた。

河内教授は「秀吉は飛保、村久野と全く無縁とは言えない。生まれたかどうかは分からないが、何の縁もなければ関白任官記に地名が出てくることはない」と話し、江南市と秀吉のつながりの可能性を示唆した。

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