元車いすマラソン選手の笹原広喜さん(当時)は、1999年9月10日、搬送先の病院の手術室で記憶が完全に途切れた。目を覚ましたのは約5日後。起き上がれず、コルセットで体が固定されていることに気づいた。記憶が徐々によみがえり、冷や汗が出た。
第4腰椎の粉砕骨折による脊髄損傷。主治医から「1か月ぐらい後には車いすを使用する生活になります」と説明を受けた。「えっ?ちょっと……」半信半疑だった。何が起こったのか、理解できない自分がいた。
病院生活と不安
25年間、病院とは無縁の人生だった。大分県杵築市の入院先は、年上の患者がほとんど。同年代がいても、先に退院する姿を何度も見送った。取り残された気がした。いつ、どんな生活になるのか。先が見えず、不安ばかりだった。当時を「車いす競技に出会うまでは現実をなかなか受け入れられなかった」と振り返る。
転機となった出会い
入院から半年以上が経った頃、リハビリのために転院した福岡県飯塚市の総合せき損センターで、自分より重度の患者と同室になった。同じように労災に遭いながらも前向きに生きる姿に、「このままではいけない」と気付かされた。
この頃、リハビリの一環で車いすテニスを始めた。車いすでも機敏な動きができることに驚き、新鮮な体験だった。
大分に戻り、病院側にスポーツをしたいと伝え、紹介されたのが後の指導者となる指宿立さん(60)だった。2000年11月、誘われて大分国際車いすマラソンを観戦。競技用車いす(レーサー)に乗った選手が猛スピードで街中を駆け抜ける姿に衝撃を受けた。
「また会おう」――優勝選手の一言が、笹原さんの競技人生を大きく変えることになる。



