震災報道の重要性を再認識する記者の体験
2026年1月6日、島根県松江市と安来市で震度5強を観測する地震が発生しました。当時、記者は県庁記者室におり、棚や机が激しく揺れ、何かにつかまらなければ立つことが難しいほどの揺れを体験しました。その後、県庁では職員らが情報収集のために慌ただしく走り回り、記者も余震への不安を感じながら、県災害対策本部会議の取材を続けました。
阪神大震災追悼行事での遺族との出会い
その10日後の1月16日夜、記者は神戸市中央区を訪れました。6434人が犠牲になった阪神大震災の発生から31年となる翌17日の追悼行事「1・17のつどい」を前に、応援記者の一人として遺族から話を聞くためです。先輩記者に連れられ、東遊園地の地下にある「瞑想空間」に初めて足を踏み入れました。ここには、震災で亡くなった人たちの名前が刻まれた銘板が掲示されており、遺族と思われる女性が、そっと銘板をなでている姿が印象的でした。
17日午前4時半、再び東遊園地に向かうと、続々と遺族らが集まり、寒空の下、灯がともされた竹灯籠の前で祈りをささげていました。記者も手を合わせた後、会場を回ると、車いすに座って静かに手を合わせる90歳代の女性がいました。追悼を終えたタイミングで声をかけると、快く応じてくれました。
遺族の思いと震災の記憶
女性は、震災で3歳上の姉を亡くしました。当時、四国に住んでいた女性は発生翌日、姉夫婦が暮らす兵庫県西宮市に駆け付けましたが、姉は倒壊した自宅の下で見つかったのです。2人姉妹だった姉は成績優秀で、当時にしては珍しく流暢に英語を話したといいます。「そりゃもう自慢の姉でした」と女性は語り、小学校の登校中にハンカチを忘れたことに気づき、姉から怒られた思い出をちゃめっけを交えて話してくれました。
追悼行事には毎年訪れているという女性は、記者の手をぎゅっと握りながら、「姉を忘れたことは、一日たりともありません。あなたも家族を大切にね」と言葉をかけてくれました。女性の話を記事にすることはできませんでしたが、ぽつりぽつりと語ってくれた話から、女性がこの31年間をどのように過ごしてきたのかを垣間見たような気がしました。
震災報道の役割と未来への教訓
過去の震災で何が起きたのか、そして遺族は今何を伝えたいのか。その答えを被災者や遺族らから丁寧に聞いて記事にすることは、次の災害で犠牲者を減らすことにつながるかもしれません。追悼行事を取材してそう思い、震災報道の大切さを胸に刻みました。
災害はいつ起きるか分からず、日常と隣り合わせであることを島根県東部での地震で改めて感じました。今年で阪神大震災から31年、東日本大震災から15年を迎え、いずれも記憶の風化が懸念されています。震災の教訓を伝えるため、今後も機会があるごとに取材を続けたいと思います。



