熊本地震から10年、被災家族が語る「人生の転換点」
2016年4月に発生した熊本地震は、16日で「本震」から10年の節目を迎えました。「前震」と合わせた2度の大きな揺れは、多くの人々の人生に深い爪痕を残しました。その中で、ある家族の人生観は根本から変わりました。津市出身で20代まで愛知県で生活していた仲祐貴さん(44)の一家です。熊本県南阿蘇村の自宅で被災し、九死に一生を得た経験から、「やりたいことを一生懸命に取り組もう。人生はいつ終わるか分からない」という前向きな気持ちで日々を生きるようになったのです。
愛知県と三重県に縁を持つ家族の出会いと移住
もともと仲さん一家には熊本とのゆかりはありませんでした。海星高等学校(四日市市)の野球部時代に春の甲子園で活躍した祐貴さんに、岡山県出身の妻・早苗さんがファンレターを送ったことが二人の出会いのきっかけでした。祐貴さんが中京大学に進学した後に交際が始まり、結婚後は愛知県で平穏な日々を過ごしていました。その後、早苗さんの両親が熊本県に移住したことを契機に、家族そろって転居を決断しました。
雄大な阿蘇の山々に囲まれた新居では、一男一女に恵まれ、順風満帆な生活が続いていました。しかし、2016年4月の熊本地震がその日常を一変させたのです。
震災の恐怖と九死に一生を得た瞬間
4月16日未明に発生した本震では、自宅の1階にあった暖炉や家具が倒れ、家屋は全壊に近い状態に陥りました。2日前の前震以降、余震を警戒して家族全員が2階に避難していたため、命は奇跡的に助かりましたが、祐貴さんはベッドから投げ出され頭部に切り傷を負いました。早苗さんは鼻骨を骨折し、ゆがんだドアを突き破る際に腕にも負傷しました。漏れ出したガスが充満する中、必死に外へ飛び出すと、目の前では山の斜面が崩落し、近隣の家々を次々と飲み込んでいく光景が広がっていました。
自宅があった高野台地区では、5人の尊い命が失われました。「いつ死ぬか分からない。そう思い知らされた時、悲しんでいる暇はない。今やりたいことをやろうと思うようになった」と夫婦は振り返ります。子どもたちに対しても、「好きなことを自由にしていい。その代わり、思い切りやりなさい」と教え諭すようになりました。
震災を機に変わった家族の生き方
この考え方を体現したのが、長男の健太郎さん(19)です。小学校時代は人前で自己紹介する際に泣いてしまうほど内気だった彼が、テレビで見た中京大学中京高等学校(名古屋市昭和区)の野球部に憧れ、同校への進学を希望しました。所属していた村の野球チームの選手数は約10人しかおらず、ノックすら満足に受けた経験がなかった息子の挑戦を、両親は反対しませんでした。
早苗さんも一緒に愛知県へ移り住み、息子を支え続けました。毎日の弁当作りから始まり、昼間はカフェで、夜は薬局で働きながら生活を支えました。その努力が実り、健太郎さんは2024年夏、夢だった甲子園球場に内野手として先発出場を果たしました。「あの日を境に、いろんなことに挑戦しようと思い、やってきた」と語る健太郎さんは、卒業後はアメリカの大学へ進学し、野球を続けています。
故郷への思いと未来への希望
一家は地震後に県外での避難生活を余儀なくされましたが、2018年に元の場所で自宅を再建しました。「どうしても戻りたい」という子どもたちの切実な願いが叶ったのです。豊かな自然や楽しい思い出が溢れる阿蘇は、他に代え難い場所でした。海を渡った健太郎さんは、「いつか村に戻り、自分の学んだ全てを多くの子どもたちに伝えたい」と故郷への思いを胸に、野球の母国で今も夢を追い続けています。
熊本地震から10年。仲さん一家の歩みは、震災の悲劇を乗り越え、前向きに生きる力の強さを私たちに教えてくれます。いつ終わるか分からない人生だからこそ、今を大切に、やりたいことに全力で取り組むことの尊さを、この家族の物語は静かに語りかけているのです。



