水俣病公式確認70年を前に記念講演会開催 患者の生の声に約1200人が聴き入る
水俣病が公式に確認されてから、2026年5月1日で70年を迎えるのを前に、認定NPO法人水俣フォーラムは4月4日、「水俣病70年記念講演会 命は美しい。」を東京都千代田区の東京国際フォーラムで開催しました。会場には約1200人の聴衆が詰めかけ、水俣病患者らが語る人生の苦労と、原因企業チッソによる有機水銀の不知火海への垂れ流しがもたらした公害の深い傷に、静かに耳を傾けました。
犠牲者約500人の遺影が飾られた会場で米良美一さんが「レクイエム」を歌唱
1956年5月1日は水俣病の公式確認の日とされています。講演会の壇上には、この公害によって亡くなった犠牲者約500人の遺影が飾られ、厳かな雰囲気の中、冒頭に歌手の米良美一さんが「レクイエム」などを美しい高音で歌い上げました。その歌声は、犠牲者への追悼と、現在も続く苦しみへの共感を会場全体に響かせました。
患者らが語る人生の苦労と社会的孤立
講演では、複数の水俣病患者が登壇し、それぞれの体験を語りました。網元の家に生まれた杉本肇さんは、祖父母や両親が次々に病気で倒れていった当時の状況を振り返りました。兄弟5人だけになった厳しい生活の中、食事がご飯とみそ汁だけの時もあったと述べ、「水俣はチッソの町だから、誰にも助けてと言えなかった」と、地域社会における孤立感と沈黙を強いられた苦しみを明かしました。
胎児性水俣病患者の加賀田清子さんは、行政の不手際によって成人式に出られなかった経験を語りました。役所が通知を送らなかったため式に参加できず、抗議ビラを配るスライド写真が紹介されました。加賀田さんは「この頃は仕事をしたいと思っていた」と話し、障害を抱えながらも社会参加を望む思いを伝えました。
国策による地域軽視への批判と現代への警鐘
水俣病患者の緒方正人さんは、チッソ水俣工場と原子力発電所を例に挙げ、「国策として行われると、地元の意見が無視される」と指摘しました。さらに、熊本県に進出した半導体製造会社TSMCが化学物質を排出する懸念にも触れ、「『これで国が豊かになる』と、チッソが水俣に来た時と同じ状況が起きつつある」と、経済優先の政策がもたらす環境リスクを強く批判しました。
若い世代にも響く水俣病の教訓
都立深沢高校3年の男子生徒(17歳)は、「水俣病は歴史の授業で習う。当事者から直接話を聞く機会はとても大事だと思った」と感想を述べました。この言葉は、公害の記憶を風化させず、未来の世代に継承することの重要性を改めて示すものでした。
講演会は、水俣病という悲劇から70年が経過してもなお、その傷が癒えることなく、現代社会における環境と人権の問題として警鐘を鳴らし続けていることを、参加者に強く印象づけるものとなりました。



