神戸空襲で亡くなった大伯母の無念、母に代わり刻銘へ 目黒区の女性が追悼
神戸空襲で亡くなった大伯母の無念、母に代わり刻銘へ

戦時中に神戸空襲で亡くなった犠牲者のうち、新たに確認された方々の名前を慰霊碑(神戸市中央区)に追加で刻銘する式典が、7日に行われます。今回、東京都目黒区の横山彰子さん(68)が、母の伯母の名を刻むために参加します。晩年の母は、戦争で命を奪われた伯母らの無念を語り続けていたといいます。横山さんは「母に代わって名前を入れることができて本当によかった。他にも大勢亡くなった人はいる。(刻銘の)活動を多くの人に知ってもらえたら」と話しています。

母が晩年語り続けた無念

名前を刻むのは、横山さんの大伯母にあたる高木ますさん(享年57)、ますさんの孫の玲子さん(同10)と弘さん(同5)の3人です。1945年3月17日、3人は神戸市兵庫区の自宅付近で空襲の犠牲となりました。ますさんの娘夫婦も間もなく、病気などで相次いで亡くなりました。

横山さんの母美智子さんも当時、神戸市で暮らし、ますさんらと親しくしていました。「一家で亡くなってしまって、かわいそうだった」。晩年はそう繰り返していたといいます。

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慰霊碑を知ったきっかけ

昨年、慰霊碑について書いた東京新聞の記事(神戸新聞から転載)を読んだのをきっかけに、横山さんは神戸市を訪ね、3人の情報を提供しました。「母は生きているうちに自分で訪ねたかったと思う。母が知ったらどんなに喜んだか」と推し量りつつ、「一家で亡くなった人はたくさんいる。そのままでは気の毒過ぎる。もっと名前を刻んであげられないか」と語ります。

刻銘と名前の読み上げで広がる追悼

神戸市では、1945年3月や同6月5日などの空襲で、7500人以上が亡くなったとされ、刻銘された名前は一部にとどまります。追加の刻銘は「神戸空襲を記録する会」が2年おきに行っており、空襲の犠牲者と確認できれば受け付けています。今年は44人追加して計2311人となります。44人のうち東京、横浜から5人の名前が提供されたといいます。

刻銘式の前日の6日には、前回までに判明した神戸空襲の犠牲者の名前を初めて読み上げます。戦没者を悼む同様の活動は、沖縄や東京などでも行われており、広がりをみせています。

記録する会事務局長の小城智子さん(74)は「犠牲者の親族は全国に散らばっていると思う。空襲被害や戦争への関心を持ってもらうために、今後も活動を続けていきたい」と話しています。

神戸空襲の概要

神戸空襲は、1945年3月17日や6月5日など、米軍B29爆撃機により大規模な空襲が行われました。神戸市によると、死者7500人以上、負傷者約1万7000人、被災者約53万人に上りました。6月5日の空襲は作家の故野坂昭如さんの小説「火垂るの墓」でも描かれています。

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