【時代の証言者】ネット開国に挑む鈴木幸一<15>大震災で有用性認識
ネット開国に挑む鈴木幸一<15>大震災で有用性認識

1995年1月17日早朝に発生した阪神・淡路大震災は、インターネットの有用性が広く認識される契機となりました。マグニチュード7.3、最大震度7を記録し、戦後初の大都市直下型地震で6434人が死亡しました。

電話網のマヒとインターネットの強み

安否確認の電話が関西方面に集中し、通信規制がかかったため、電話は混み合って非常に通じにくい状況が数日間続きました。一方、インターネットを介して被害情報は流され続けました。これは、電話とインターネットの通信方法の違いによるものです。

電話は限られた回線を使用し、早い者勝ちで通話中は他の人が使えません。つながらないから何度もかけ直すと、渋滞が膨らみ逼迫度合いが増します。一方、ネットは「パケット交換」方式で、データを細切れに分割し、すいている回路を見つけて流れていきます。

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IIJの取り組み

電話網のマヒを受け、インターネットイニシアティブ(IIJ)の社内では、こういう時こそネット企業の力を発揮して人々のために役立とうという声が上がりました。そこで、ネット上に被災者の安否情報などを載せるサイト「阪神大震災情報」を設けました。たちまち被災者のメッセージなどが寄せられ、テレビ局とも情報共有で協力し、膨大なアクセスとなりました。

この経験は、災害時におけるインターネットの有用性を広く認識させるものとなり、その後の防災対策にも影響を与えました。

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