滋賀・日野町事件で再審開始決定、無罪の公算高まる…逮捕から38年、遺族「本当に長かった」
日野町事件で再審開始、無罪の公算高まる…遺族の長い闘い

滋賀・日野町事件で最高裁が再審開始を決定、無罪判決への道筋が開かれる

1984年に滋賀県日野町で酒店経営の女性(当時69歳)が殺害された「日野町事件」において、強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役中に75歳で病死した阪原弘元受刑者について、最高裁第2小法廷(岡村和美裁判長)は2月24日付で再審開始を認める決定を下しました。この決定により、事件発生から42年、逮捕から38年という長い歳月を経て、遺族は「本当に長かった」と万感の涙を流し、無罪を勝ち取る希望に胸を膨らませています。

戦後初の死後再審開始、無罪の公算が大きい

阪原弘さんは2011年に病死しており、本人死亡後の再審開始(死後再審)が認められるのは、戦後に起きて死刑や無期懲役が確定した事件では初めてとみられます。大津地裁で開かれる再審公判では、無罪が言い渡される公算が大きく、司法の歴史的な転換点となる可能性が高まっています。決定は、審理した裁判官3人全員一致の意見で、大阪高裁の再審開始決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却しました。検察官出身の三浦守裁判官は審理から外れました。

事件の経緯と捜査の疑念

事件は、被害女性が1984年12月に行方不明となり、1985年1月に遺体で発見されたことに始まります。阪原さんは1988年に強盗殺人容疑で逮捕され、当初は自白したものの、公判では否認に転じました。1995年の大津地裁判決で無期懲役が言い渡され、2000年に最高裁で有罪が確定しました。阪原さんは2001年に再審請求を行いましたが、2011年の病死により審理が終了。その後、2012年に遺族が行った第2次再審請求では、有罪の根拠とされた「引き当て捜査」の報告書が焦点となりました。

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引き当て捜査とは、事件現場などに容疑者を連れて行き、当時の状況を再現する手法で、阪原さんは人形を使い、遺体を運んだ状況を滞りなく再現したとされていました。しかし、検察が新たに開示した捜査当時の写真のネガフィルムから、人形を持ったり地面に下ろしたりを繰り返す不自然な動きが判明。大津地裁は2018年、「こうした行為を自らするとは考えがたく、警察官の誘導があった可能性がある」として再審開始を決定し、2023年の大阪高裁もこれを支持しました。

遺族の長い闘いと無実への信念

阪原弘さんの長男・弘次さん(64歳)は、2月25日午前11時半頃、東京・永田町の国会内で開かれた再審制度の見直しを求める集会中に朗報を受け取りました。マイクを手に「いま連絡があり、検察の特別抗告が棄却されました」と報告すると、会場からは「おめでとう」という歓声と大きな拍手が湧き起こりました。弘次さんはめがねを取って涙をぬぐい、「逮捕から38年、本当に長い時間がたってしまった。父は無念のうちに亡くなった。こんな不幸なことは二度と起こってはいけない」と語気を強めました。

弘次さんは、逮捕前日に父から「父ちゃんはやってへん。お前らだけは信じてくれ」と涙を流して無実を訴えられたことを鮮明に覚えています。また、警察の取り調べで「娘の嫁ぎ先をガタガタにする」と脅され、家族を守るため虚偽の自白をしたとも語っていました。「好きな酒を飲んだり、ひ孫をかわいがったりする人生があったはず。無念を晴らしたい」という思いから、2012年に母のつや子さん(88歳)や妹2人と再審を請求しました。14年の時を経て再審開始が決まりましたが、つや子さんは脳梗塞を患い歩行が困難になるなど、家族にも苦難が続きました。

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今後の展望と司法への期待

最高検察庁は2月25日、「特別抗告が棄却されたことは遺憾。大津地検が再審公判で適切に対応する」とのコメントを発表しました。通常の刑事裁判では被告が死亡すると公訴棄却となり審理が打ち切られますが、再審公判は被告が死亡した場合でも弁護人が立ち会えば開かれます。大津地裁での再審公判は、被告不在のまま審理が進む見通しです。

弘次さんは記者会見で、「速やかに再審公判で無罪を言い渡してほしい。家族全員で『無罪を勝ち取ったよ』と父の墓前に報告したい」と訴えました。同席した弁護団の石側亮太弁護士は、「いかに捜査がずさんだったか、有罪ありきの確定審だったかを再審公判で明らかにする」と強調し、司法の透明性と公正さを求める姿勢を示しました。

この決定は、冤罪被害者の救済と捜査の適正化に向けた重要な一歩となり、社会全体に深い影響を与えることでしょう。遺族の長い闘いは、真実を求める不屈の精神を象徴しており、今後の再審公判に注目が集まっています。