日野町事件の心証を元捜査員が明かす 記者15人による一斉取材で浮かぶ捜査の実態
日野町事件 元捜査員が明かす心証「あれは…」

記者15人による一斉取材で浮かび上がる日野町事件の捜査実態

1984年に滋賀県日野町で酒店経営の女性(当時69歳)が殺害され、店の金庫が奪われた「日野町事件」において、強盗殺人罪で無期懲役が確定した故・阪原弘(ひろむ)氏について、最高裁第二小法廷は再審開始を認める決定を下しました。この歴史的決定を受け、朝日新聞は約1千点の事件記録と約50人の関係者への取材を基に、捜査と裁判の検証連載を2024年3月に配信しています。

40年の時を超えて明かされる元捜査員の証言

事件発生から40年が経過した今年2月、朝日新聞の記者15人チームがかつての事件関係者への一斉取材を実施しました。リストアップされた26人の元警察官のうち、家族から「昨年亡くなりました」や「介護が必要で話せない」と断られるケースも少なくなく、実際に対面取材が実現したのは7人に留まりました。

事件記録によれば、発生から逮捕までの3年3カ月の間に、滋賀県警は2度にわたり阪原元被告を日野署で取り調べています。元警察官らの証言を総合すると、当時捜査1課の「エース」と評された2人の取調官が担当していたことが明らかになりました。

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「静と動」の取調官による自白獲得への道程

関係者によれば、2人の取調官は「静と動」「おっとりとしゃきしゃき」「太陽と北風」と表現されるほど正反対のタイプだったといいます。最初の取り調べは事件発生から9カ月後、県警がすでに逮捕状を手にしていた時期に行われました。

「静」のタイプとされる取調官が担当したこの最初の取り調べでは、自白を得ることができず、逮捕は見送られました。その後、この取調官は捜査の現場から離れることになります。一方で、「動」のタイプとされるもう一人の取調官がどのような役割を果たしたのか、詳細な証言が待たれます。

被害者の池元はつさんが営んでいたホームラン酒店には、今も郵便受けのラベルに池元さんの名前が残されており、事件の記憶を静かに伝え続けています。記者チームは2023年5月に現場を訪れ、当時の状況を確認しました。

死後再審の重大局面で問われる捜査の真実

日野町事件を検証する連載記事によると、「死後再審」が殺人事件で認められたのは戦後わずか1度のみという極めて稀なケースです。最高裁がその是非を審理する重大な局面において、40年前の捜査に携わった警察官や検察官らがどのような思いを抱いていたのか、その心証が改めて問われています。

元捜査員が語る「あれは…」という言葉には、当時の捜査内部で交わされた判断や葛藤、そして事件に対する複雑な思いが込められているようです。一斉取材を通じて浮かび上がってきたのは、単なる事件の経緯ではなく、組織内部で行われた捜査の実態と、それに関わった人々の生の声です。

再審開始決定を受けて、事件の全容解明に向けた動きが加速しています。記者15人による大規模取材は、司法の過ちを正すプロセスにおいて、ジャーナリズムが果たすべき役割の重要性を改めて示すものとなりました。

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