広がり見えぬ沖縄の抗議運動、かつてマイク握った男性が思うこと
広がり見えぬ沖縄の抗議運動 元学生活動家の思い

沖縄は5月15日、日本復帰から54年を迎えた。全国の米軍専用施設の約7割が集中する状況は依然として変わらず、日米両政府が30年前に合意した米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還は、いまだに実現していない。

米軍基地を巡る反対運動は続いているものの、かつて見られたような一体感や運動の広がりは次第に薄れつつある。「平和運動」は今、岐路に立たされているのか。

座り込みの現場から

5月12日昼過ぎ、普天間飛行場の移設工事が進む名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、十数人が座り込みの抗議活動を行っていた。この日の参加者は60代や70代が中心だった。参加した73歳の男性は「気づいたらいつも同じメンバーで活動している。ここ数年は若い人も来なくなった……」と語る。

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しかし、10年ほど前には、次代を担うと期待された若者の姿も確かにあった。当時大学生だった30代の男性会社員もその一人だ。

熱く訴えたあの日

2015年、彼はここでマイクを握っていた。大勢の聴衆を前に「基地がフェンスに囲まれているんじゃない。まるで僕らが(基地に)囲まれているような息苦しさを感じる」と熱く訴えた。

当時、辺野古移設への抗議は大きなうねりとなっていた。イデオロギーではなくアイデンティティーを掲げる運動は、多くの共感を集めた。2009年に誕生した民主党政権下で、基地問題は政治の主要議題となり、沖縄の声が全国に届く機会も増えた。

運動の変化と課題

しかし、時が経つにつれて状況は変わった。参加者の高齢化が進み、新たな担い手が現れにくくなっている。また、運動の手法やメッセージも、かつてのような新鮮さを失いつつある。専門家は「反対運動がイデオロギー的に硬直し、自らの過ちすら認められなくなっている」と指摘する。

辺野古沖で発生した転覆事件をめぐる世論の反応には、そうした硬直化が表れているとの見方もある。基地の過重負担を訴える声は根強いが、運動の広がりには限界が見える。

かつての活動家の今

当時マイクを握った男性は今、会社員として働きながら、運動との距離を感じている。「あの頃は仲間と一緒に何かを変えられる気がした。でも今は、同じことの繰り返しで、前に進んでいる実感が持てない」と打ち明ける。

それでも彼は、完全に運動から離れたわけではない。時折、ゲート前に足を運び、顔なじみの活動家と言葉を交わす。彼の胸の内には、かつてのような熱意はなくとも、基地問題への関心は消えていない。

沖縄の抗議運動は、新たな形を模索している。若い世代の関心をどう引きつけるか、運動の目的をどう再定義するか。54年目の沖縄は、静かにその答えを探している。

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