被爆米兵を「敵ではなく人間と思った」 森重昭さんの調査と慰霊の軌跡
歴史研究家で被爆者の森重昭(もり・しげあき)さんが亡くなりました。森さんは長年にわたり、被爆米兵の調査と慰霊に取り組み、2016年には広島を訪問したオバマ米大統領(当時)と対面するなど、核の悲劇を伝える活動を続けてきました。
子供心の疑問が調査の出発点に
森さんは、広島市の己斐国民学校に通う3年生だった8歳の時、登校途中に爆心地から約2.5キロの地点で被爆しました。その経験から、己斐国民学校で何人の遺体が焼かれたのかという疑問を抱き、これが38歳から本格的に始めた調査の出発点となりました。
会社勤めの傍ら、手弁当で原爆犠牲者の調査を続け、約1千軒を訪ね歩いて死者の数や被爆状況を聞き取りました。この地道な作業が、後の被爆死米兵の調査へとつながっていったのです。
被爆死米兵12人と結論づけた自著
2008年に刊行した自著「原爆で死んだ米兵秘史」で、森さんは被爆死米兵を12人と結論づけました。この研究は、米映画「Paper Lanterns(灯籠流し)」の主人公としても取り上げられ、国際的に注目を集めました。
森さんは、「私は米兵を敵じゃなくて人間と思った。遺族に真相を伝えたい」と語り、調査を続けました。この思いが、2016年のオバマ氏との対面にもつながり、平和へのメッセージを発信し続けました。
核の悲劇を後世に伝える遺産
森重昭さんの活動は、単なる歴史調査を超え、戦争と核の惨禍を人間の視点から見つめ直すものでした。彼の言葉「私は米兵を人間と思った」は、敵対関係を超えた共感と慰霊の心を象徴しています。
広島での被爆体験から始まった調査は、国際的な平和運動にも影響を与え、核廃絶への道筋を示す貴重な遺産として受け継がれていくでしょう。森さんの死は、核問題や平和への取り組みにおいて、大きな損失となっています。



