ハンセン病回復者・平沢保治さん99歳 差別と闘い語り続けた人生「こんなに幸せな人間がいるでしょうか」
平沢保治さん99歳 ハンセン病差別と闘い語り続けた人生 (17.04.2026)

ハンセン病回復者・平沢保治さんが99歳の白寿を迎え、感謝と幸福を語る

ハンセン病の回復者で、長年にわたり語り部として活動してきた平沢保治(やすじ)さんが先月、99歳の誕生日を迎えた。これを記念して、東京都東村山市にある国立療養所「多磨全生園」で白寿を祝う集いが開催され、約110人の関係者が参加した。平沢さんは14歳で同園に隔離されて以来、差別や偏見と闘いながら、命の尊さを伝え続けてきた人生を振り返り、「こんなに幸せな人間が、他にいるでしょうか」と感謝の言葉を述べた。

第二の故郷・東村山での温かい祝福

集いは3月15日、平沢さんの誕生日の2日前に開催された。参加者には、療養所の入所者や職員、出身地である茨城県古河市の関係者らが含まれ、ピアノとバイオリンの演奏や、母校の市立古河第二小学校の生徒たちからのビデオレターが披露されるなど、終始和やかな雰囲気に包まれた。平沢さんは「東村山は第二の故郷。みんな『おじいさん』と親しんでくれる。声を大にして、ありがとうと繰り返し申し上げたい」と感謝の意を表し、熱烈な阪神ファンであることを示すパーカーを着て笑顔を見せた。

参加した古河市の高井集さん(18)は、小学5年生の時にハンセン病問題を学び、平沢さんに手紙を書いたことをきっかけに交流を続けてきた。高井さんは「大変な環境で生活してきたのに『国を恨んでいない』と話していたことが心に残った。一緒に99歳をお祝いできてうれしい」と語り、平沢さんの寛容な姿勢に感銘を受けた様子だった。

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差別と闘い、語り部としての歩み

平沢さんは13歳でハンセン病を発症し、14歳で多磨全生園に入所。旧優生保護法により不妊手術を強いられ、妻との間に子どもを持つことができなかった。また、障害者団体の会合で自分が座った椅子を消毒されるなど、社会からの差別も経験した。しかし、それにもめげず、入所者の自治会役員として生活環境の改善に取り組み、国立ハンセン病資料館の設立にも尽力。語り部として、差別の愚かさや命の大切さを広く伝えてきた。

長年にわたる国の強制隔離政策や偏見について、平沢さんは「恨みを恨みで返しても、未来はないから」と語る。現在もきょうだいとは疎遠で、両親の墓参りもできていないが、「それぞれの立場で生きていかなきゃいけないから。恨んでいない」と強調。「許す心が、明日を開くんだよ。99歳になってあれだけの人に祝ってもらえるなんて、幸せだよ」と、前向きな姿勢を貫いている。

ハンセン病と多磨全生園の歴史的背景

ハンセン病はらい菌による感染症で、治療薬の登場で治る病となった後も、らい予防法に基づく国の強制隔離政策が続いた。1996年に同法が廃止され、2001年には熊本地裁が隔離政策を「違憲」と判断した。多磨全生園は1909年に公立療養所全生病院として発足し、1941年に国立療養所となった。多い時には1500人以上の患者が収容され、日本のハンセン病政策の歴史を象徴する施設として知られている。

平沢さんの人生は、差別と闘いながらも、許しと感謝の心を持ち続けることの大切さを教えてくれる。99歳の今、多くの人に祝福され、幸せを実感する姿は、社会に深い感動と反省を促している。

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