フォトジャーナリスト豊田直巳の3・11回想録 福島へ向かう決断の瞬間
豊田直巳の3・11回想 福島へ向かう決断の瞬間 (10.03.2026)

フォトジャーナリスト豊田直巳が語る3・11の記憶 福島への決断

東京電力福島第1原発事故の発生から15年を迎える今日、フォトジャーナリストの豊田直巳氏が当時の体験を回想する。2011年3月11日、豊田氏は東京・新宿の喫茶店で、チェルノブイリ原発事故の取材ビデオ翻訳のため、ロシア人通訳者と打ち合わせ中だった。

突然の激しい揺れがビル全体を襲い、打ち合わせは即座に中止となった。外に出ると電車や地下鉄は完全に停止し、駅周辺には多くの人々が溢れかえっていた。その瞬間、豊田氏の頭には「日本の原発がまさか事故を起こすはずがない」という、当時広く信じられていた「安全神話」がまだ残っていたという。

福島の異常事態を知り、現地へ向かう決断

新宿にある友人の事務所に一夜を過ごし、ニュースを見ているうちに福島第1原発の異常事態が明らかになる。ジャーナリスト仲間から断片的な情報が入り始めたものの、詳細は不明確だった。それでも豊田氏は「福島に向かうことを決めた」と述懐する。

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翌日早朝、東村山市の自宅に戻った豊田氏は、以下の装備を車に積み込んだ:

  • ヘルメットと寝袋
  • 化学防護服と線量計
  • 4年前に東電柏崎刈羽原発取材時に用意した安定ヨウ素剤

放射性物質の吸入を最小限に抑えるため、活性炭フィルター付きマスクやゴム手袋は道中で購入する計画を立て、仲間と共に出発した。豊田氏はこの時の心境を「戦争取材に行くときと同じ感覚だった」と語っている。

取材活動における防護対策の重要性

栃木県さくら市での停車中、豊田氏はテレビ映像で状況を確認しながら福島県へ向かう様子が、綿井健陽氏によって撮影されている。この経験は、原発事故取材におけるジャーナリストの安全確保と防護対策の重要性を浮き彫りにした。

豊田直巳氏の回想は、3・11という歴史的瞬間における個人の決断と行動を克明に記録しており、事故から15年経った今も、当時の緊迫した状況を生々しく伝えている。

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