虐待から希望へ 女性が「刑務所みたい」な保護施設を変えるNPO設立
虐待から希望へ 女性が保護施設を変えるNPO設立 (03.04.2026)

「刑務所みたい」な保護施設から希望の光へ

「お前は生きている価値がない」――毎日午前3時まで父親から罵倒され、過呼吸で死にそうになりながらも眠れない日々。母親は助けてくれなかった。9年前、高校1年生だった大田垣光月さん(女性、25歳)は、千葉市内の児童相談所の一時保護所にたどり着いた。虐待から逃れるための避難先だったが、そこで待っていたのは想像を超える過酷な環境だった。

金網のはまった窓とお下がりの下着

初日の夜、児童相談所の職員から「服を全部脱いで着替えて」と指示され、持ち物は全て取り上げられた。衣服だけでなく、下着も用意された古着での生活が始まる。3カ月間の保護生活中、通学は許されず、外出も月に1回のみ。個室の窓は3センチほどしか開かず、金網がはめられていた。

同じ建物には男の子も生活していたが、話すことだけでなく「見ることすら禁止」という厳しいルールが存在した。異性と話したのはたった1度だけ。地震が起きた時、近くにいた小学校1年生ほどの男の子が心配で「大丈夫?」と声をかけたのが唯一の交流だった。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

監視と密告が漂う空気

女の子同士でも連絡先の交換は禁止。一時保護所を出た子の話をするのも禁じられていた。子ども同士が互いに監視する空気があり、ルール違反を密告された子は懲罰房のような場所に連れて行かれることもあった。

初日の夜、理由もなく「反省文」を書かされた大田垣さんは「私には反省することはありません」と訴えたが、職員からは「だったらひとりぼっちの生活をすればいい」と強制された。「刑務所に入れられたみたいだな」――いつもそう思っていた。

進学の道が閉ざされる現実

その後、千葉市内のNPO法人が運営するシェルターに身を寄せた。家庭環境に近い一軒家で、虐待から逃れた数人の女の子と5カ月間ほど共同生活を送った。スタッフやボランティアは親身に話を聞いてくれたが、ここでも安全上の理由から外出は一切禁止。通学も許されず、高校卒業をあきらめ「中卒」になる子もいた。

大学進学の選択肢は事実上なく、「誰も私の将来に期待してないし、大学に進んでほしいと思ってないのが分かるんですよ」と大田垣さんは当時を振り返る。百人一首が好きで、本当は大学で文学を研究したいと思っていたが、その夢は遠のいていた。

理不尽な就職の二択

シェルターの担当弁護士から紹介された就職先は、レタス農家か介護施設の二択だけ。なぜこの選択肢なのか理解できなかったが、他の子たちも同じ提示を受けていた。犯罪者を受け入れている就業先だと聞かされ、「私たちって犯罪者?」と疑問を抱いた。

どちらかを選ぶか、シェルターから出て行くか――選択を迫られた。家に帰ることもできず、1人暮らしをするお金もない。全てを拒否してシェルターを出て、最終的に「トー横」に行った子もいた。仕方なく介護施設を選んだ大田垣さんだったが、そこで待っていたのは新たな苦難だった。

大人への信頼が崩れる瞬間

研修を何も受けていないのに、いきなり高齢者の身体介助をさせられた。「住み込み」と聞いていたが、用意されたのは施設の「空き個室」。夜勤の男性職員がお風呂場の鍵も持っている状況に落ち着かなかった。先輩職員からのいじめも受けた。

この施設を紹介した弁護士からは「何かあったらいつでも連絡して」と言われていたが、毎日泣きながらひどい仕打ちを電話で伝えても、「仕事があるから」と切られてしまう。過去にもシェルターからこの介護施設を紹介された子が何人もすぐに辞めたことを知っていた大田垣さんは、身を守るために3カ月で辞職した。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ

虐待を受けた子どもたちにとっては、安心できる環境で心を癒やすことが必要なはず。なのに、追い詰められた心がさらに傷つく出来事がたくさんあった。「大人を信じるとろくなことがないな」――うつ病も経験し、目の前を通り過ぎる電車に飛び込むことがどうしようもなく魅力的に思えてしまった時期もあった。

希望の光を灯す決意

その後、アルバイトを始め、人との出会いが増えた。大田垣さんが過酷な境遇を打ち明けると、自分のことのように痛みを感じてくれる人たちが現れた。信頼できる大人たちだった。そうした人たちの支えを受け、大田垣さんは代表理事としてNPO法人を設立。この春、虐待を受けた女の子を保護する施設を千葉市内に開くことになった。

「光いっぱいの明るい場所」へ

ともに中心となってNPO法人を運営する堀光宗理事と一緒に、長い時間をかけて物件を探し回った。大理石の玄関、シャンデリアの照明がある素敵な一軒家を見つけた。「虐待を受けた子を受け入れる場所は、その子が癒やされる場所でなければ意味がないと思います」と大田垣さんは語る。

ここで暮らす女の子たちには、外出や通学を自由にしてもらう。大学進学もサポートしたい。虐待を受けた子たちは、将来の選択肢が理不尽に制限される現実がある。自分自身がそうだったからよく知っている。この場所から、かつての自分のような子どもたちを支える環境を変えていきたい――日本全体にメッセージを送るつもりだ。

施設は「子どもオアシス・光月荘(こうげつそう)」と名付けられた。希望の光があふれる、明るい場所にしたいという願いが込められている。光月荘では現在、一緒に働く保育士資格をもつ正社員スタッフを求人中で、詳細は施設のウェブサイトで確認できる。

大田垣光月さんの歩みは、虐待から逃れた子どもたちが直面する課題を浮き彫りにすると同時に、一人の女性の不屈の精神が社会を変える可能性を示している。かつて「刑務所みたい」と感じた保護施設の経験が、今では他の子どもたちのために「光いっぱいの明るい場所」を作る原動力となっている。