福島からの避難者に温かな食卓を 加須市の女性が15年間の交流を続ける
東京電力福島第一原子力発電所の事故により、多くの福島県民が埼玉県加須市に避難してきた。その中で、同市不動岡に住む富沢トシ子さん(80)は「悲しみを少しでも和らげられる場所を作りたい」という思いから、食を通じた避難者との交流を15年以上にわたって続けている。
退職後にボランティア団体を設立
富沢さんは以前、社内食堂で働き料理の腕を磨いた。退職後の2005年頃、友人数人とともにボランティア団体「加須ふれあいセンター」を設立。当初は市内の高齢者にお弁当や食事を提供する活動を行っていた。
2011年3月の東日本大震災と原発事故後、福島県双葉町からは町民の約2割にあたる1400人近くが、旧県立騎西高校の校舎に集団避難してきた。富沢さんは「茶碗で温かいご飯を食べる日常が奪われてしまった。何かできないか」と考え、2012年にセンターを同高校近くに移転し、避難者への昼食提供を開始した。
「食べると安心できる料理」で心を癒やす
富沢さんがよく作ったのは煮物やおひたしなど、家庭的な味わいの料理だった。特に福島県の郷土料理である「いかにんじん」を提供したこともあり、避難者たちに故郷の味を思い出させる機会となった。
平日は午前7時から買い出しに出かけ、多い日には1日50食を調理。価格は1食300円に設定し、費用を工面するため街頭で寄付を呼びかけることもあった。
交流の場が生んだ安らぎと再出発
毎日のようにセンターに通っていた避難者の宗像勝子さん(81)は「いつでも人がいて、おしゃべりできる。安らげる場所だった」と振り返る。
センターでは、町民が手作りした小物や特産品を並べるバザーも開催。正月にはおせち料理を作り、一緒に新年を祝うなど、季節の行事も大切にした。
和裁を仕事にしてきた佐藤富士子さん(64)は、避難後は針を持つ機会がなくなっていた。しかし、センターに通ううちに誘われて仕立て仕事を再開。「手を動かすことで、気持ちが明るくなった」と語っている。
解散後も続く温かな絆
加須ふれあいセンターは、資金難と新型コロナウイルス感染症の影響により2021年3月に解散した。しかし、富沢さんと避難者たちの交流は今も続いている。
現在、富沢さんは月に3回ほど、双葉町民らを自宅に招き、一緒に食事をしている。3人ほどが集まり、おしゃべりに花を咲かせる時間は、互いの心の支えとなっている。
「多くの人とのつながりができて、充実した日々だった」と震災後の15年間を振り返る富沢さん。体が動く限り、この交流を続けていきたいと強く願っている。



