河野洋平元衆院議長死去 自民離党や野党総裁の波乱の政治人生
河野洋平元衆院議長死去 波乱の政治人生

元衆院議長の河野洋平氏が死去した。河野氏は自民党を離党して新自由クラブを結成し、野党転落時の自民党総裁を務めるなど、自民党長期政権のひずみが顕在化する中で波乱に満ちた政治人生を送った。1993年に宮沢内閣の官房長官として発表した従軍慰安婦に関する談話は、日韓関係改善に寄与したとの評価がある一方、事実に基づいているのかとの批判も長年にわたり受け続けた。

自民党離党と新自由クラブ結成

1976年、ロッキード事件の発覚で自民党の金権体質に対する批判が高まる中、河野氏は「自民党は時代的役割を終えた」として離党し、新自由クラブを結成した。同年の衆院選で新自由クラブは躍進し、政治ブームを巻き起こした。しかし、その後は党勢が低迷。1983年には衆院で過半数割れした自民党と連立政権を組み、1986年に解党して自民党に復党した。

野党総裁への就任

1993年の衆院選で自民党が敗北し、首相退陣を表明した宮沢喜一氏の後を受けて河野氏は党総裁に就任したが、細川連立政権の発足により、自民党は結党以来初めて野党となり、河野氏は「野党総裁」となった。1994年には社会党の村山富市委員長を首相に担ぐことで政権復帰を果たした。しかし、1995年の総裁選への立候補は見送り、自身の首相就任は実現しなかった。

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慰安婦談話の評価

河野氏が官房長官として発表した従軍慰安婦に関する談話は、日本軍の強制的な関与を認め、日韓関係の改善に寄与したと評価される一方、歴史的事実に基づいていないとの批判も根強い。この談話は現在も日韓関係における重要な争点の一つとなっている。

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