元衆院議長で自民党総裁を務めた河野洋平(こうの・ようへい)氏が8日、死去した。89歳だった。神奈川県出身。自民党内で「護憲ハト派」の象徴的な存在として知られ、1993年に宮沢喜一内閣の官房長官として、旧日本軍慰安婦問題に関する「河野談話」を発表したことで広く記憶されている。
「ハト派保守」の信念を貫いた政治家
河野氏は「ハト派保守」を貫いた信念の政治家だった。1993年8月、宮沢内閣の官房長官として発表した旧日本軍慰安婦を巡る「河野談話」では、政府報告書を受け「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と謝罪し、反省を表明した。報告書は、旧日本軍が慰安所の設置や管理に関与し、募集は軍の依頼を受けた業者が本人の意向に反して行う例が多かったと指摘していた。
アジアへの思いが原点
河野氏の信念の根底には、アジアへの深い思いがあった。1998年の日韓共同宣言や2015年の日韓慰安婦合意について、河野氏はその構造を理解すべきだと指摘。両文書は日本側が植民地支配や慰安婦問題をわび、韓国側がそれを評価し、未来志向的な関係発展や解決に言及していると説明した。アジア諸国との関係では歴史を直視する必要性を強調し、それがハト派保守としての原点だった。
駆け出しの政治部記者だった1990年代後半、記者が「これからの日韓は未来志向ですよね」と話しかけると、河野氏はたしなめたという。「歴史を踏まえずに未来志向と言えば、過去をなかったことにしたいとの甘えが伝わるから気を付けなさい」。この言葉は今も色あせない。
政治人生の歩み
河野氏は1976年に新自由クラブを立ち上げ、著書「拍手はいらない」で「国民に今までと違った目で政治そのものを見てほしい」と訴えた。1986年に自民党に合流。首相の座には就けなかったが、外相時代には初めて国連に核廃絶決議を提案。衆院議長として広島にG8議長を招いた。2009年に政界を引退した後も、憲法9条改憲に反対の声を上げ続けた。今年、最後に会った時も、中国との関係悪化に心を痛めていた。
政界でハト派の影が薄い今だからこそ、信念を貫いた河野氏の生涯には、拍手を送りたい。(論説委員・篠ケ瀬祐司)



