なぜ東京で万博開催が実現しないのか?歴史の歯車がずれた経緯と大阪開催の背景
東京で万博開催なしの理由は?歴史の歯車がずれた経緯

東京で万博が開催されない歴史的な背景と経緯

昨年の大阪・関西万博は大盛況を収め、来年には横浜市で「国際園芸博覧会」が開かれる予定だ。しかし、東京都内ではこれまで万国博覧会の開催がなく、大規模な国際博覧会の印象も乏しい状況が続いている。なぜ東京では万博が実現しないのか。その理由を探ると、幻となった博覧会の存在や、オリンピックとの関係など、複雑な歴史的経緯が浮かび上がってくる。

明治期から続く東京の博覧会構想と幻の万博

乃村工藝社の学芸員・石川敦子さん(67)は、「昔から東京は博覧会が多いですよ。『万博』を目指す動きも明治期からありました」と語る。同社のデータベースによれば、東京都内の博覧会は189件が記録されており、明治時代には上野で多数の博覧会が開催され、海外から出展を誘致した「亜細亜大博覧会」の構想もあった。

1912年には、現在の神宮外苑などを会場に「日本大博覧会」の計画が立てられたが、政府は財政難を理由に中止を決定した。さらに、1940年に皇紀2600年を記念して東京オリンピックとともに予定されていた「日本万国博覧会」は、中央区晴海と江東区豊洲の埋め立て地約150万平方メートルを会場とする大規模なものだった。しかし、日中戦争の激化により、1938年7月に政府は万博の延期と五輪の中止を決断した。

大阪が日本最初の万博開催地となった経緯

1970年の大阪万博の事務総長を務めた鈴木俊一知事は、1988年の記者会見で、都内での万博開催に意欲を示しながらも、日本最初の万博が大阪になった背景について明かした。当時の池田首相が東龍太郎・都知事に「譲った方がいい」と説得したというのだ。

通商産業省が1966年に発行した冊子には、官僚が「東京オリンピックは投資の集中を呼んで少なからぬ問題を残した。万国博が東京をさけ、関西を選んだことは賢明であった」と記述している。巨大祭典である五輪と万博の場所を分けることが、当時の国策だったようだ。

幻となった「世界都市博覧会」と多摩地域の計画

鈴木都政は、臨海副都心を中心にした「世界都市博覧会」を計画していた。国際条約に基づく「万博」ではなかったが、国連や海外42都市4港も参加予定で、2000万人程度の来場を想定していた。しかし、バブル崩壊の影響も受け、開幕10か月前の1995年5月、青島幸男知事が選挙公約として中止を決定した。

事業企画プロデューサーだった牧村真史さん(75)は、「集客の目玉に、英国のチャールズ皇太子(現国王)とダイアナ妃の結婚式の馬車なども展示する予定だった」と明かす。中止が決まった際には、バッキンガム宮殿の侍従長に謝罪するなど、苦労があったという。

一方、多摩地域では2006年、国営昭和記念公園などを候補地に「東京多摩国際園芸博覧会」の計画が進められた。国際園芸家協会に開催意思を示す信書を提出して内諾も受けたが、実現には至らなかった。立川商工会議所の芝田達矢事務局長(60)は、「2016年の五輪招致に総力を挙げていた都は、多摩花博実現に向けて主体的に取り組む余裕がなかった」と残念がる。

未来の東京万博の可能性

昨年の万博の運営統括室長を務めた岩田泰さん(57)は、「歴史の歯車がちょっとずれただけで、東京でも万博があったかもしれない。大阪も横浜も地域開発などの目的があり、万博は手段。課題解決に役立つと判断されれば、東京が手を挙げることもあるでしょう」と語った。東京での万博開催は、歴史的な経緯や国策の影響で実現していないが、将来的には可能性が残されているようだ。