インターネットイニシアティブ(IIJ)創業以前の1980年代、私はアメリカ西海岸のシリコンバレーなどを訪れる中で、米国が冷戦下、世界の覇権を再び握るため、国家戦略としてインターネットと金融に注力していく状況を目のあたりにしました。日本がまさに製造業大国として世を謳歌していた時期です。
インターネットの軍事起源とカウンターカルチャー
インターネットは戦争や災害に強い通信手段として、米国防総省が主導して発展させてきました。米国がベトナム戦争で疲弊し産業競争力を失っていく状況で、ネットは何よりも、軍事、金融、情報の覇権を目指した戦略のキーとなるものでした。初期の開発を支えたのは、軍事関係の仕事に就き、ベトナム戦争の兵役を忌避した、才能豊富な「良心的兵役拒否者」らでした。彼らは「愚連隊エンジニア」とも言われていました。
ベトナム戦争では、65年、米軍が北ベトナムへの爆撃を始めたが、泥沼化した。米軍は約5万8000人の死者を出し、73年に完全撤退。米国内では反戦デモが起き、社会の分断を生んだ。
誰もが自由にアクセスできるインターネットは、情報を管理して国家を円滑に統治したい政府とは相反するシステムのように感じます。ネットに群がった技術者たちも、権力が情報を独占する世界を覆そうと、既存の社会秩序や価値観に対抗する「カウンターカルチャー」や「反権力」の体現者でした。
日本のインターネットの出発点
一方、日本のインターネットは、大学の学者や研究者らの仲間が集まってスタートさせた学術的なものでした。出発点が米国とは全く性格を異にしていたのです。政府を始め、誰もが平和慣れし、ネットが国防という軍事技術の一環であり、国家戦略そのものだという意識も非常に希薄でした。
政府のネット関連企業に対する支援も、日本では財務基盤のしっかりした、昔ながらの通信技術をベースとした大企業を中心に振り向けられましたが、アメリカでは「愚連隊エンジニア」と呼ばれるような若者にも潤沢に資金を与え、世界に先駆けたイノベーションを生み出したのです。私も交流があった、アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、そうした系譜に連なる人たちの一人です。
リスクを恐れる日本と訴訟を覚悟する米国
インターネットは捉えどころがない面があり、法律も未整備でグレーゾーンが多く、欠点もあります。その点、米国企業は訴訟も覚悟しながら前進していきました。日本はまずトラブルを恐れるので、世界に先駆けた技術は出にくくなります。
例えば、Winny(ウィニー)事件というものがありました。ファイル共有ソフトの開発者が、利用者の著作権侵害(違法コピー)を幇助したとして2004年に逮捕され、後に無罪になったものです。数少ない日本発の進取の技術でした。日本のIT技術開発の停滞を招いた面は否めず、残念な事件でした。(IIJ会長)



