銅像研究家・武石詔吾さんが語る 北海道の銅像が映す時代の変遷
銅像研究家・武石詔吾さんが語る北海道の銅像の歴史

道内各地に立つ銅像は、単なる記念碑ではなく、その時代の社会情勢や人々の思いを映し出す鏡である。札幌市の郷土史家で「銅像研究家」として知られる武石詔吾さん(82)は、銅像を調査することで歴史の奥深さに触れる魅力を語る。

銅像研究のきっかけ

武石さんが銅像に興味を持ったのは、観光ボランティアガイド中に「なぜ石川啄木の銅像は道内に3体あるのか」と質問され、答えられなかった経験からだ。「『わかりません』と言うしかなく、悔しさで歴史好きの闘志に火がついた」と振り返る。調査を進めると、札幌・大通公園の黒田清隆像は1903年制作と判明。啄木の銅像は函館、札幌、釧路にあり、それぞれの地で有名な歌を残したことが理由だと分かった。

銅像研究の醍醐味

「銅像研究は最高級の知的探求」と武石さんは語る。道内各地を歩き、銅像を撮影し、図書館で資料を探す。モデルの人物の業績や、制作を主導した団体、当時の社会情勢に想像を巡らせる連続だ。銅像を探して街を歩けば、下を向かずに視界が広がり、気持ちも明るくなるという。

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道内銅像の特徴:戦争が分岐点

武石さんが調査した道内約100体の銅像のうち、明治期から終戦前のものは20体余り。しかし、大半は戦争激化に伴う「金属回収令」で供出され、姿を消した。供出時には式典が行われ、銅像を白い布で巻き、赤たすきを掛けて人物を回顧する仰々しいものだった。戦後最初に再建されたのは北海道大学の前身・札幌農学校初代教頭のクラーク博士。黒田清隆像も再建され、戦前の軍服姿から戦後はコート姿に変わった。

戦後から現在までの銅像の変遷

1955年以降、社会が落ち着き経済成長に伴い銅像制作が増加。北海道酪農の父エドウィン・ダン(札幌市)、豪商・高田屋嘉兵衛(函館市)、探検家・松浦武四郎(釧路市)などが新設された。最も多いのは1968年の北海道開道100年を挟む昭和40年代で、日本初の女性医師・荻野吟子(せたな町)、街づくりを構想した島義勇(札幌市)、江別の開祖・榎本武揚(江別市)などの像が建立された。

平成以降も意外に多くの銅像が制作されている。幕末に来航したペリー提督(函館市)のほか、松浦武四郎は小平町と天塩町でも建立され道内で計3体に。伊能忠敬(福島町)は没後200年記念として2018年に制作された。

銅像の存在意義と未来

武石さんは「銅像はその地を動かず、時代を見つめ続ける存在」と語る。現在は企業や自治体の資金難で制作母体が減少し、建立運動も盛り上がりにくいが、銅像は時代を映す鏡として今後も注目される。令和の銅像の行方に関心が寄せられる。

武石詔吾さんは蘭越町出身。道学芸大旭川分校卒業後、小中学校教員や道立拓北養護学校長を歴任。退職後は札幌で観光ボランティアガイドを務め、市民講座で銅像の歴史や物語を講義している。

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