田中角栄元首相秘書官が語る半世紀前の石油危機と現代への教訓
田中角栄元首相秘書官が語る石油危機の教訓

中東情勢の緊迫により、日本への原油供給が滞っている。振り返れば、日本では1973年にも、第4次中東戦争を契機とする「石油危機」の不安が広がり、当時の田中角栄政権は前例のない対応を迫られた。首相秘書官として田中首相の側にいた小長啓一氏(95)が、当時の状況と教訓を語った。

首相秘書官が見た石油危機

――1973年の「石油危機」を、当時の首相秘書官としてどのように見ていましたか。

政府にとって初めての事態であり、田中首相も戸惑っている様子でした。私から当時の通商産業省に対応を尋ねましたが、明快な答えが出てくるはずもありません。首相には「官邸主導で対応しないといけない」と進言しました。首相は「その通りだ」と言い、首相の考えも含めて通産省に伝え、やりとりしてほしいと頼まれたことを覚えています。

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立法措置による迅速な対応

石油供給への不安に対して中長期的な対応が必要になると考え、まずは日用品などの価格と石油の需給の安定を図る法律を制定しようとしました。それが「国民生活安定緊急措置法」と「石油需給適正化法」の「石油2法」です。行政でぐずぐず進めるのではなく、立法措置で直ちに対応しなければならないと考えました。

スピード感のある対応

――当時の対応にはスピード感がありましたか。

首相には、もたもたして事態が次々と悪化するのを避けるため、先読みして対策を打たなければならないという思いがありました。通産省もかなり機敏に対応したと思います。官邸から通産省に依頼すると、何日もかかることはあまりなく、言ったそばから官邸に回答が上がってきたような感覚でした。

調達先多角化の課題

――危機前に、石油の調達先を多角化するという発想はありましたか。

頭にはありました。ただ、埋蔵量や地政学的な制約もあり、すぐに実行できるものではありませんでした。しかし、今回の危機を教訓に、改めてエネルギー安全保障の重要性を認識すべきです。

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