大熊弁玉の自筆長歌が屏風に 箱根詠んだ3首、千葉で発見し横浜の寺に寄贈
大熊弁玉の自筆長歌が屏風に 箱根詠んだ3首が千葉で発見 (04.04.2026)

大熊弁玉の自筆長歌が屏風に 箱根の神秘性詠んだ3首、千葉で発見され横浜の寺に寄贈

幕末から明治初期にかけて、開港と文明開化という歴史的な転換期を横浜から見つめ、数多くの和歌を詠んだ僧侶・歌人の大熊弁玉(べんぎょく)(1818~80年)。その長歌3首の自筆が千葉県内で新たに発見され、弁玉が住職を務めていた三宝寺(さんぼうじ)(横浜市神奈川区)に寄贈された。題材は箱根で、寺では18日にお披露目の行事を企画している。関係者は「横浜、神奈川の地で時代を歌に詠み、後世に残した弁玉の功績を広く知ってもらいたい」と期待を寄せている。

箱根の温泉と神秘性を詠んだ長歌3首

発見された自筆は「遊筥根温泉歌三首」と題された長歌で、弁玉の長歌集「由良牟呂(ゆらむろ)集」に収録されている作品だ。1首目は箱根の温泉が懸樋(かけひ)で各所に行き渡り、人々が疲れや病気を癒やす様子を描写。2首目は箱根の山々に漂う朝雲や夕霧といった神秘的な風景を詠み、3首目は険しい坂道を上れば温泉宿での宴の楽しみがあるとして、「箱根は人の世と同じようだ」と表現している。

三宝寺の樋口芳宏住職(67)によると、自筆は半切の和紙6枚で構成され、千葉県香取市の旧家の蔵から表装されていない状態で見つかった。一緒に保管されていた紙片に寺の名前が記されていたことから、2024年6月に連絡があり、寄贈を受けたという。樋口住職は「3首で一つのストーリーになっている」と弁玉の意図をくみ取り、屏風に仕立てた。淡い若草色の表装は、山深い箱根のイメージから着想を得たとしている。

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専門家が自筆を鑑定 弁玉の筆跡と確認

弁玉を研究する前・司馬遼太郎記念館学芸部長の増田恒男さん(78)は、文字の特徴から「弁玉自身が書いたもので間違いない」と鑑定。紙片の内容から、弁玉の弟子が保管していたものを、今回の発見者の祖先が何らかの事情で入手したと推測している。

大熊弁玉は江戸・浅草で生まれ、1850年に東海道・神奈川宿の三宝寺の住職に就任。歌人としても活躍し、鉄道やガス灯、写真機など、開港に伴って劇的に近代化する文化や世相、人々を題材に多くの和歌を詠んだ。しかし、寺は1945年5月の横浜大空襲で焼失し、弁玉の自筆史料や肖像画、木像など大半が失われていた。

史料収集の努力実る 地域の歴史文学として評価

樋口住職は増田さんらの協力を得て情報を集め、寄贈を受けたりオークションで買い求めたりしながら、短冊や掛け軸などを収集。2014年には史料室を設け、弁玉の作品を後世に伝える取り組みを続けてきた。増田さんは弁玉の作品を「歌で知る横浜の歴史」と評し、樋口住職も「記録文学としても高く評価されており、地域理解や文学史研究の一助になる」と語る。

弁玉の命日(4月25日)を前に屏風を公開する「ゆらむろ忌」は、18日午後2~4時に三宝寺本堂で開催される。先着150人で資料代500円。第1部では今回の経緯と長歌3首の解説、第2部では金原亭馬治さんによる和歌をテーマとした落語が行われる。申し込みは氏名と住所、連絡先を明記し、同寺にファクスで送付。別の機会の見学は応相談となっている。

大熊弁玉は1830年に仏門に入り、芝・増上寺の学寮で学んだ。古典に造詣が深く長歌を得意としたが、蒸気車を題材にした作品など、社会の急激な変化も詠んだ。各地の文化人とも交流し、箱根を拠点に活動した農政家・実業家の福住正兄(ふくずみまさえ)らと親しく、しばしば箱根や小田原を訪れていた。今回の発見は、そうした弁玉の活動を物語る貴重な史料として注目されている。

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