聖武天皇陵への初の研究者立ち入り観察が実現
宮内庁が管理する奈良市の聖武天皇陵および光明皇后陵の敷地内に、2026年2月27日、歴史・考古学系の17学会・協会の代表者らが立ち入り、現状観察を行いました。これは学会要請による研究者の立ち入りが許可された初めての事例となります。
約1時間にわたる詳細な観察
午後1時過ぎ、各学会・協会の研究者らはまず聖武天皇陵の拝所に参拝した後、通常は立ち入ることができない宮内庁の管理地内に入場しました。約1時間にわたって両陵を間近で観察する機会を得たのです。
陵墓が古墳の場合、研究者らは1段目まで入ることが認められることがありますが、聖武天皇陵は奈良時代の墓であるため、今回の観察は陵域を囲む柵の外側から行われました。それでも、研究者にとっては貴重な現場確認の機会となりました。
戦国時代の城跡としての側面に注目
「続日本紀」によると、聖武天皇は756年に、光明皇后は760年に死去し、ともに佐保山に葬られました。興味深いことに、両陵は戦国時代に武将・松永久秀が築いた多聞城の一部となっていた歴史を持っています。
学会・協会側はこの城跡としての側面に注目し、宮内庁に対して研究者の立ち入りを要望していました。今回の許可は、その要望が実を結んだ形です。
研究者の所見と今後の展望
立ち入り観察を終えた日本考古学協会理事の青柳泰介・奈良県立橿原考古学研究所学芸課長は次のように語りました。
「多聞城の遺構について、地図や写真を見て想像していたのとは違う部分もあることを確認できました。ただし、聖武天皇陵や光明皇后陵の遺構そのものは見えませんでした」
この発言から、研究者らが事前の資料と実際の現場との間に差異を発見したことがうかがえます。また、陵墓そのものの遺構は確認できなかったものの、城跡としての歴史的価値について新たな知見を得る機会となったようです。
宮内庁による陵墓・陵墓参考地への研究者立ち入りは、2008年以降では19カ所目となりますが、聖武天皇陵と光明皇后陵への立ち入りが学会要請によって実現したのは今回が初めてです。このことは、文化財研究と宮内庁管理のバランスを考える上で重要な前例となるでしょう。
聖武天皇は東大寺の大仏建立を推進したことで知られ、日本の仏教文化に大きな影響を与えた人物です。その陵墓が戦国時代には城の一部として利用されていたという歴史的事実は、日本の歴史の重層性を物語っています。
今回の観察が、今後の歴史研究や文化財保護にどのような影響を与えるのか、専門家の間で注目が集まっています。



